■それでもオリンピックを存続させるなら

 巨大なスタジアムを建設して、そこに数万人が集まって開催する「オリンピック競技大会」という大規模イベントは、19~20世紀の工業化時代的な「重厚長大」思想を具現化したようなイベントだ。21世紀には、21世紀に相応しい形に転換していかない限り、いずれはオリンピック競技大会というものはこの世から消滅してしまうだろう。

 では、このオリンピックというものを今後も存続させていくにはどうしたらいいのか?

 僕としては別にオリンピックがなくなったとしても困らないのだが、たとえば通常は世間からの関心を集めることの少ないマイナー・スポーツに携わる方々にとってはオリンピクというのは貴重な場となる。多くの人々が、スポーツというものに関心を抱くための貴重な機会であることも間違いない。

 1964年に東京でオリンピックが開催されなかったら、20世紀末に日本でサッカー人気が爆発することはなかったかもしれないし、少なくとも僕がサッカーにかかわる職業に就くことはなかったはずだ。

 オリンピックを存続させるためには、分散開催しかない。

 たとえば、陸上競技はアメリカ合衆国で、水泳はオーストラリアで、柔道は日本で……といったように、世界各地に同時期に各競技の大会を開催するのだ。

 野球は北アメリカか日本か韓国で開催すれば、整備の行き届いた野球場が存在するから、アテネのように無駄な施設を建設する必要はない。サッカーはヨーロッパで行えば運営もスムースだろう。分散開催であれば、サッカー競技は3週間かけて開催することができるかもしれない。

 そうなれば、テレビの同時中継を通じて24時間常時生放送でオリンピックが楽しめるのだ。それなら、きっとアメリカのテレビ局も満足するだろうし、IOCの利権を損なうこともない。各開催国も受け入れる選手数や関係者数が少数で済むので負担は小さくなり、万が一、再びパンデミックが発生したとしても、渡航者数が少なければ検疫など水際対策を完全な形で実施することができるだろう。

 僕は、「分散開催」こそがオリンピックが21世紀にも生き残っていく唯一の道だと思っている。

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