「私論 21世紀のオリンピック」(2)「ギリシャの野球場」の末路の画像
新国立競技場はどうなるのか…… 撮影/編集部
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22歳のキリアン・エムバペは、東京オリンピックに召集されなかったらしい。それは、そうだろう。国際サッカー連盟(FIFA)が定める代表活動期間ではないし、仮にフランスサッカー連盟が招集をかけても、所属クラブのパリSGに承諾する義務はない。世界のサッカーの最先端では、もう長らくオリンピックは商業主義にのっとったひとつのスポーツ・イベントであり、特別視はされていない。ここ日本でも、オリンピックを理想化する理由はもはやないのではないか――。

■IOCの高圧的姿勢が日本国民の目を覚ました

 日本人は、世界でも有数のオリンピック好き国民である。

 スポーツが文化として定着している西ヨーロッパや北アメリカでは、もちろんオリンピックの人気も高いが、各競技の世界選手権や国内リーグなどのイベントと同様に一つのスポーツ・イベントとして関心を集めている。だが、日本ではオリンピックというものを特別視して、理想化してとらえる傾向が強い。

 19世紀に明治新政府が発足してから、日本では政治、経済、科学、技術、芸術などあらゆる分野で近代化(欧米化)が推し進められた。多くの外国人指導者を招き、また多くの有為の若者たちが欧米に渡って西洋の文物、思想を学んできた(まるで、最近のサッカー界のようだ)。

 そして、西洋生まれの近代スポーツも教育の中に取り入れられ、多くの学生たちが陸上競技やボートに勤しみ、ベースボール(野球)は庶民の間にも広まっていった。

 一方、オリンピック運動を世界に拡大しようと考えていた近代オリンピックの創始者ピエール・ド・クーベルタン男爵は近代化を進める日本に目を付け、東京高等師範学校校長で柔道の創始者としても知られる嘉納治五郎に声をかける。これを受けて嘉納はオリンピック委員会を組織。さらには予選会を開催して、1912年のストックホルム大会に2人の陸上競技のランナー(三島彌彦と金栗四三)を参加させたのだ。

 そして、その後、各競技で日本選手が活躍し、数多くの金メダルを獲得するようになったことで、日本ではオリンピック人気が沸騰した。日本人が世界に伍して戦うことで民族的自尊心がくすぐられ、近代化のバロメーターにもなった。そして、日本はついに1940年のオリンピック大会の東京招致に成功。ヨーロッパと北アメリカ以外で初めてのオリンピック開催となるはずだった。世界が日本の近代化を認めたのである。

 その1940年大会は日中戦争が激化したことによって返上せざるを得なくなったが、日本は第二次世界大戦で敗北を喫してからわずか19年後の1964年に東京オリンピックを実現させ、国民が一つになって戦後の復興と経済成長を祝ったのである。

 だが、それから57年経った2021年。日本はすでに経済大国としてもピークを越して人口減少、高齢化の時代を迎えている。そんな時代に、巨額の費用を投じてオリンピックを開催することに、どのような意味があるのだろうか?

 日本はこれまでずっとオリンピック運動に対して最も熱心な国の一つであった。しかし、日本国民は東京大会開催を巡ってのIOC側の高圧的な姿勢(夏の酷暑の時期の7月開催。マラソン開催地の札幌への変更。そして、コロナ禍での開催強行等々)を知ってしまった。日本国民のオリンピックに対する幻想は潰えてしまったのではないか。IOCは2021年夏のオリンピック開催強行によって大きなものを失ったことに気づくべきだ。

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