■もし、新型コロナウイルスが出現しなくとも

 しかし、僕がオリンピックに懐疑的、批判的なのはけっしてパンデミックが起こったからではない。新型コロナウイルスなどというものが出現せずに、2020年のうちに無事に開催されていたとしても、オリンピックという大会は東京という都市にとって、あるいは日本国にとって大きな負担を強いるものでしかなかった。

 その象徴が、新国立競技場だ。総工費が3500億円以上とも言われたザハ・ハディド案が白紙撤回されてノーマルなデザインの競技場が建設されたのは喜ばしいことだったが、それでもその工費は1500億円程度という膨大なものとなった。

 しかも、完成した新国立競技場はオリンピック・パラリンピック終了後の「後利用計画」も二転三転し、将来どのように活用できるか明らかではないのである。分かっているのは、年間数十億円というラニングコストがかかり続けることだけである。

 そんな無駄遣いをしてまで、日本のような成熟した(これから高齢化がますます進む)国でオリンピックを開催する意義はあったのだろうか?

 話は変わるが、先日、福井県の美浜原発3号機が再稼働した。2011年の福島第一原発での事故以後、運転開始から40年超が経過した原発が再稼働したのはこれが初めてなのだという。

 僕は、原子力発電についても反対である。

「事故が起こったから」ではない。事故がなくても原発の技術は確立されたものとは言えない。原発を運転すれば、必ず「核のゴミ」と呼ばれる放射性廃棄物が発生する。そして、その放射性廃棄物を処理するための技術が確立されていないのだ。「核のゴミ」は、これから10万年単位でしっかりと管理していかなければいけない危険なものなのだ。

 その処理技術が確立するまでは原子力発電の技術が産業として成り立つはずはない。二酸化炭素の放出は減らさなければいけないが、必ずしも「ゼロ」にする必要はない。だが、原子力発電によって生じるセシウムやストロンチウムはいっさい排出されてはいけないのだ。

 だから、僕が事故があってもなくても、原子力発電の産業的な利用には反対だ。そして、オリンピックについても、パンデミックがあろうとなかろうと反対したいのである。 

※第2回につづく
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