東京という世界有数の巨大都市は、世界有数の「スポーツ貧困都市」なのである。そして私たちは、極悪な状況でなんとか活動をしている「スポーツ難民」なのである。世界からトップアスリートを迎えて「スポーツの祭典」をする都市の住民が、「スポーツ難民」であるというのは、どんな皮肉なのだろうか――。〉(本文より抜粋)
コロナ禍が来なくても、東京は、日本は、オリンピック招致に手を挙げるべきではなかったのかもしれない。オリンピックへの幻想はすでにはぎとられているーー。
■IOCがオリンピックにこだわる理由
IOCにとっては、IOCが直接契約する大会のトップスポンサー14社からのスポンサー料も大きな収入になっている。海外から「ファン」はこなくても、IOCのスポンサー関係者(その招待者も含め)は日本入国も大会観戦も認めるのは、IOCとしては絶対に譲れないところだった。
外国からの観戦客を認めなくても、仮に「無観客開催」であっても、競技さえ実施すれば、IOCにはその満額がはいる。入場料収入がはいらずに苦しむのは、日本の組織委員会であり、IOCではない。新型コロナウイルス蔓延の「第5波」が懸念されようと、緊急事態宣言が出されようと、IOCがけっしてオリンピックをやめるとは言わないのは当然のことだ。
そうした「現代オリンピックの正体」があからさまになってしまったことで、オリンピックに対する熱が冷めてしまった人もいるに違いない。しかしそれぞれの競技やそのアスリートにとっては、大きなターゲットであり、競技人生のひとつの目標であることに変わりはない。