■スポーツ大会を開催できる文化をもっているのか
しかし牛木さんの主張は、肥大化したオリンピックへの批判というよりも、「スポーツ記者」としての卓越した見識によるものだった。オリンピックのような巨大大会を一都市で開催することにはすでに無理がある。それより、各種目、オリンピックの全種目でもいい、その世界選手権を日本に招致し開催するほうが、ずっとその競技の普及にも、アスリートたちにとってもプラスになるというのだ。多様な自然環境に恵まれた日本の各地で、それぞれの土地に適した競技の世界選手権を開く――。それは素晴らしいアイデアだった。
ただし、牛木さんはそこまで語らなかったが、こうした世界選手権を盛り上げ、真にそれぞれの競技やその競技に人生をかけて取り組んでいる人びとのためにするには、日本政府がしっかりとバックアップし、メディアも、スターがいるか日本人が優勝候補であるかどうかなどに関係なく、オリンピックなみにサポートする文化性をもたなければならない……。
さて私は、2007年に当時の石原慎太郎東京都知事が2016年の夏季オリンピック・パラリンピックの招致の意向を表明したときから、一貫して「反対」の立場を表明してきた。理由はシンプルである。「オリンピックの前にすることがある」からだ。
私は東京で活動する女子サッカークラブの監督をしている。昨年で創立40年を迎えたクラブだが、創立当初から会員を悩ませてきたのがグラウンド難だった。東京には男子を含めたくさんのサッカーチームがあり、どのチームも週末のグラウンドを探している。ウイークデーの夜にも練習はあるが、試合は日曜日に限られる。そのグラウンドを確保するのが至難の業なのだ。情報を集めて抽選に参加するが、4つの日曜日、2時間単位で区切っても最大1日5枠、計20枠のうち、ひとつでも当選できれば非常に幸運という状況なのだ。