1997年のフランス・ワールドカップ最終予選。試合後に加茂周監督が更迭されたアルマトイでのカザフスタン戦と、コーチから昇格した岡田武史監督の初戦となったタシケントでのウズベキスタン戦との間の1週間の有効活用に、山中にある巨大湖のイシククルを見にキルギスを訪れたベテランジャーナリスト。無事に目的を遂げてすっかり満足すると、日本サッカー史に残る1戦を目撃するためにタシケントへと向かうのだった。
■キルギスへの国境では入国チェックは一切なし
キルギス共和国の首都ビシュケクで僕が泊まっていた「ホテル・エルドラド(黄金郷)」は、もう使われていなかった旧フルンゼ空港のそばにありました。
キルギスがソ連の一部だったころ、キルギス・ソビエト社会主義共和国の首都は、1917年のロシア革命当時のボルシェビキの指導者の一人ミハイル・ヴァシリエヴィッチ・フルンゼ(ソビエト連邦陸海軍人民委員)を記念して「フルンゼ」と呼ばれていました。
フルンゼの父はルーマニア人、母はロシア人だったのですが、彼はロシア帝国時代にこのビシュケクの地で生まれたからです(ソ連が崩壊して1991年にキルギスが独立すると、すぐにビシュケクという名前に戻されました)。
1997年に僕が初めてビシュケクを訪れた当時、旧フルンゼ空港はバスターミナルとして転用されていましたが、そこには空港ターミナル・ビルが残っていました。青緑色の屋根が印象的なこじんまりとした美しくてかわいい建物でした。
10月9日、僕はキルギスタン航空61便で次の試合会場、ウズベキスタンの首都タシケントに向かいました。昇格した岡田武史監督の初戦です。
僕はカザフスタンの(当時の)首都アルマトイからビシュケクまでは自動車をチャーターして移動しました。平原の中を100キロあまりのドライブでした。途中、たしかに国境はあったのですが、そこではパスポートのチェックも税関のチェックも何もありませんでした。