1999年にナイジェリアで開かれたワールドユース選手権で、U-20日本代表は、決勝でシャビ・エルナンデスやイケル・カシージャスを擁するスペインに敗れたが、準優勝の快挙を成し遂げた。日本を率いたフィリップ・トルシエ監督は、当時、アフリカ大陸では“白い呪術師”として広く知られていたという。しかし、その大会の日本報道陣に“黄色い神さま”がいたことを知る人はほとんどいない――。
■どこに行っても紙幣数え係が
ナイジェリアの通貨単位は「ナイラ(NAIRA)」というのですが、最高額紙幣が50ナイラだったのです。つまり、100ドル札を1枚出して両替をすると、50ナイラ札が186枚になってしまうのです。だから、旅行中はウェストポーチに数百枚のナイラ札を詰めて旅行することになりました。
飛行機代も、ホテル代も「いつもニコニコ現金払い」でした。米ドルを受け取ってくれるところはいいのですが(たいてい、お釣りはナイラで戻ってきます)、大変なのは「ナイラ払いだけよ」というホテルです。たとえば、「1万ナイラね」と言われたら、50ナイラ札を200枚渡すことになるわけです。
しかも、紙幣カウンターのような機械はどこにもありません。どこに行っても、紙幣数え係がいて、客が出した紙幣をひたすら数えるのです。この作業は支払う側にとっても、受け取る側にとっても、かなりの負担になります。
日本チームは最初のカメルーン戦は北部の大都市カノで試合をしました。2戦目のアメリカ戦とグループリーグ最後のイングランド戦は北東部の高原にあるバウチというところで試合をします。バウチの空港には軽飛行機しか降りられませんから、選手団も記者団もバスなどでの移動になります。カノは最大都市(元首都)のラゴスに比べれば、かなり治安も良かったですし、バウチは高原都市で気候も良くさらに快適でした。
カノのセントラル・ホテルには3泊しましたが、チェックアウトの時に国際電話代なども含めて1万1580ナイラを請求されました。「ナイラ払い」だと言います。
50ナイラ札232枚を渡さなければなりません。