大住良之の「この世界のコーナーエリアから」連載第58回「サッカースタジアムの力」(2) 陸上競技型スタジアムの致命的欠点の画像
1990年ワールドカップ・イタリア大会の決勝の舞台、ローマの「オリンピコ・スタジアム」。1960年のローマ・オリンピックのために建てられた古いスタジアムに屋根をかけてワールドカップを迎えた。一層式の観客席の傾斜は緩く、プレーから「遠い」スタジアムだ。 提供/大住良之

※第1回はこちらから

その国のサッカーを育むものは何か——。そこに素敵なスタジアムの存在が大きな役割を果たすことに、議論の余地はない。ファンやサポーターはスタジムとともに育ち、歌と声援によって選手やチームを強化し、クラブを発展させる。それはリーグ全体の発展に寄与することとなり、ひいてはサッカー国力の向上にもおおいに貢献するのである。良いスタジアムの効用はかくも大きい。今回は、日本サッカーの強化の一翼を担うサッカー専用スタジアムについて——。

■Jクラブ30のホームが陸上競技型

 1968年に「ダイヤモンド・サッカー」が始まり、イングランドの試合を見るようになって、最も惹きつけられたのは、スタンドとピッチのとてつもない近さだった。どのスタジアムも観客席がピッチのすぐ近くまで迫り、無粋な「壁」もない。長年使用するうちにピッチの芝面が上がってしまったためか、多くのスタジアムでは、タッチラインを疾走する選手たちの足元からファンの顔が見えていた。

 だが当時の日本のサッカーの主要スタジアムは、国立競技場を含め、ほとんどが陸上競技型だった。サッカーのピッチは400メートルトラックの中。当然、観客席から数十メートル、スタンド上部の席からだと100メートルを超す距離がある。距離とともに大きな問題は、ピッチと観客席の間にサッカーでは無用のトラックがあり、試合に集中しにくいことだ。ゴール裏の席からピッチまでの間には、トラックが大きなカーブを描いて設置されており、さらに遠くなる。

 Jリーグが誕生したときも、「陸上型中心」はあまり変わらなかった。カシマスタジアムという画期的なスタジアムはできたものの、百億円の規模の予算を必要とするスタジアム建設はJリーグやクラブの手には余るものだったからだ。その結果、10クラブのうち6クラブが陸上競技型のスタジアムをホームとして戦わざるをえなかった。

 Jリーグは1993年当時の10クラブから2021年にはJ3まで含めると57クラブへとふくれあがった。その間に新しいサッカー専用競技場も次々とつくられた。だがそれでも、現在も全体の約53%に当たる30クラブが陸上競技型のスタジアムでプレーしている。

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