今季のリーガ・エスパニョーラ、シーズン前半戦を終えた段階で首位を独走したのはアトレティコ・マドリーだった。
獲得可能な勝ち点48のうち、勝ち点41を積み上げた。アトレティコにとって、25年ぶりの”冬の王者”の称号であった。
1995-96シーズン、アトレティコは冬の王者に輝き、そのままの勢いでリーガで優勝を飾った。コパ・デル・レイの戴冠にも成功して、ドブレテ(2冠)を達成した。
■指揮官それぞれの色
今季、アトレティコの好調は続いた。リーガ第23節終了時点でアトレティコは勝ち点58を獲得。レアル・マドリーとバルセロナとの勝ち点差は9ポイントだった。負傷者続出、過密日程、カレンダーの変更...。そういった状況を、モノともしなかった。火中の栗を拾う。そんな表現がぴたりと嵌まるように、チョリスモ(シメオネ主義)はチームに浸透していた。
アトレティコにおいてエンリケ・セレソ会長とミゲル・アンヘル・ヒル・マリンCEOのディエゴ・シメオネ監督への信頼は非常に厚い。今季、レアル・マドリー(ジネディーヌ・ジダン監督)とバルセロナ(ロナルド・クーマン監督)では指揮官解任の可能性が幾度となく取り沙汰された。
ただ、”2強”は逆説的に力をつけ、盛り返してきた。マドリーが勝利を収めたクラシコで、最後にピッチに立っていたのはアルバロ・オドリオソラ、イスコ、マルセロ、エデル・ミリトン、マリアーノ・ディアスといった選手たちだった。それはジダン監督の巧みなマネジメントがもたらした恩恵にほかならない。
クーマン監督はクラシコで敗れるまで19試合無敗を貫いていた。ジェラール・ピケ、セルジ・ロベルト、アンス・ファティと主力が負傷離脱を強いられ、会長交代などクラブが混沌するなかで、若手の積極起用と3バックシステムの採用でチームを”常勝気流”に乗せた。
一方、アトレティコでは歯車が狂い始めていた。ルイス・スアレスやジョアン・フェリックスの負傷、マルコス・ジョレンテやステファン・サビッチらの出場停止による欠場、スポーツ賭博に携わったとされるキリアン・トリッピアーが不在の際には乗り越える術を持っていたシメオネ監督であるが、ここに来て彼の采配には迷いが感じられる。