大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第53回「サッカー記者の50年(石器時代から現代へ)」(3) 「98年ワールドカップでの緊急事態」と救世主の画像
2018年ワールドカップ・ロシア大会の私の記者席。パソコンは各デスクに完備されたLANケーブルでインターネットに常時接続され、原稿を送ることだけでなく、情報を検索することも自在となった。しかもインターネット使用料は無料である。(c)Y.Osumi
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※第2回はこちらより

ガー・ピー、ヒョロヒョロ。パソコンのスピーカーからこの音が聞こえてくると、これで無事に原稿を送ることができると、心の底からホッとしたものだ。サッカーを報道するために必要なのは、最先端の機材とそれを使いこなす知識と技術。終わることのない追いかけっこなのである。進化の波に乗り遅れるな!

■はじめてのインターネットに冷や汗

 きっかけは1998年のワールドカップだった。それまで紙で出ていた各種の情報が、すべてインターネットになるという話があり(結局は紙も出た)、私は慣れ親しんだOASYSのワープロ専用機からNEC製のパソコンに乗り換えることにした。

 当時NECの仕事をしていたこともあったので相談すると、なんと1台貸与してくれるという。大会の1カ月ほど前に入手し、いろいろと設定してもらってなんとか使えるようにしてフランスに向かった。ついでに、BIGLOBEというNECが運営するインターネットサービスのアカウントとともにメールアドレスまでいただいた。現在も使っている「soccer」から始まるアドレスである。

 ところが、フランスに行って、その第1日目からつまずいた。当時は有線LANも無線LANもない。インターネット接続には、BIGLOBEのインターネット接続サービスを使うしかない。メディアセンターなら、モジュラージャックでつなぐことができる公衆電話があり、プリペイドカードとともにそれを使ってフランス国内のアクセスポイントにつなげればいいが、スタジアムを一歩出るとお手上げになってしまう。そこでメディアセンターでレンタルするフランス用の携帯電話に、パソコンと接続して使うキットもつけてもらって契約したのだ。

 そのキットを受け取り、東京新聞の財徳健治記者と2人でメディアセンター内のデスクに陣取って、携帯を使ってのインターネット接続を試みた。携帯電話は、すでに使用できるようになっている。キットのケーブルをどうつなげればいいのかも、一目瞭然だった。だがどうやってもうまくいかない。ああでもない、こうでもないと、パソコンと携帯電話をいじり回し、トライするのだが、公衆電話ならいとも簡単にアクセスポイントにダイヤルをすることができるのに、携帯はうんともすんとも動かないのである。

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