後藤健生の「蹴球放浪記」連載第52回「いくらなんでも、緩すぎるんちゃう?」の巻の画像
記念品として受け取った韓国対アメリカのADカード 提供:後藤健生
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どうやらこの人物は、結界破りの名人らしい。前回に続いて、今回もADカードを持たずにプレスルームへの侵入を果たしてしまった。そのあとでソクソクと、許可をもらいに動くのだが――。

■済州島は韓国の沖縄だ

 韓国シリーズ第3弾。今回は韓国の済州(チェジュ)島でのお話です。

 済州島は朝鮮半島の南、東シナ海の中に浮かぶ火山島で、遠い昔には「耽羅(タンラ)」という独立国でしたが、その後、百済や新羅に朝貢するようになり、15世紀には朝鮮国の一部となりました。そのあたりは、日本と琉球王国との関係とも似ていますね。今でも、独特の文化が残っています。また、在日韓国人の中には済州出身の人が多く、高(コ)という姓の人はたいてい済州島の出身です。

 初めて済州に行ったのは、1990年の3月のことでした。ある雑誌の取材で、済州市で行われる韓国プロリーグの開幕戦を取材し、その後、ソウルを訪れて韓国代表のエース、金鋳城(キム・ジュソン)にインタビューし、そして大韓蹴球協会でイタリア・ワールドカップに向けての準備状況を取材するという忙しい日程でした。

 韓国プロリーグの開幕戦は、暖かい済州島に全チームが集まって2日間に渡って開幕節の試合が行われました。

 3月17日には12時30分から大宇対浦項製鉄、14時30分から一和対現代、16時20分から金星対油公の3試合が行われました。

 キックオフ時刻を見ればわかりますが、試合が終わると、直後にスタジアム外でウォーミングアップを済ませていた選手たちが姿を現してすぐに次の試合が始まるという、素晴らしい(凄い)スケジュールでした。

 さすがに見ているだけで疲れますが……。

 この時の試合会場は済州市内の総合競技場でした。済州市は済州道の道都であり、空港も存在する、この島の中心都市です。

 さて、2度目の済州訪問は2001年12月でした。日韓共同開催のワールドカップの前年の12月。釜山(プサン)で組分け抽選会が行われた直後です。

 済州島の北半分は済州市ですが、島の南部は西帰浦(ソギポ)市と呼ばれています。その西帰浦にワールドカップ・スタジアムが新設され、そのこけら落としの試合が行われるので、それを観戦に行ったのでした。

 新スタジアムは当時は4万2256人収容でしたが、ワールドカップ終了後には仮設席が撤去されて3万5657席にダウンサイジングされ、さらに2013年にもさらに席が撤去されて現在は2万9791人収容となっていて、済州ユナイテッドFCの本拠地として使用されています。2017年のAFCチャンピオンズリーグ浦和レッズ戦で乱闘事件を引き起こした、あのチームですね。

 さて、2001年12月のこけら落としの試合は、韓国代表対アメリカ代表の試合でした。アメリカのトーマス・ハッバード駐韓大使も観戦にやって来るという話です。

 時は、2001年のことです。この年の9月11日にアメリカのニューヨークなどで「同時多発テロ」が起こってから、まだ間もない頃です(テロが起こった当日のことについては、「蹴球放浪記」第25回「ペンタゴンに飛行機が落ちたって?」の巻を参照)。

 米韓両国を狙ったテロが起こる可能性もあり、また北朝鮮が日韓ワールドカップを妨害する可能性もあります。当然、当日の済州島は厳戒態勢が敷かれました。

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