■選手交代は認められていなかった

 サッカーという競技は、本来、選手交代を許さないものだった。「substitution」という言葉はサッカー誕生の19世紀半ばから記録に登場しているが、それは本来出場するはずだった選手が何らかの事情で試合会場に現れなかったとき、他の選手が代わりに出場したということを示している。試合が始まったら、先発の11人に何があっても交代は認めないというのが、英国で生まれたこの競技の「文化」だった。

 だから以前は足を折って走れなくなった選手でも、治療を終えたらピッチに戻るということがよくあった。捻挫などの「軽症」の場合、どのポジションの選手であっても「ウイング」に置くのが常識だった。守備の選手が走れなかったら大変なことになるが、FWの、しかもタッチライン際のポジションの選手なら、たとえばハーフライン上に立っているだけでも、「いないよりまし」だったからだ。

 1956年5月のイングランドFAカップ決勝におけるマンチェスター・シティのドイツ人GKベルト・トラウトマンの悲劇はあまりに有名だ。第2次世界大戦で捕虜になり、収容所時代に覚えたサッカーでGKとして頭角を現し、そのまま英国に残って1949年に「シティ」とプロ契約したトラウトマン。闘志にあふれ、反射神経抜群のゴールキーピングだけでなく、超ロングスローで攻撃につなげるプレーでも知られ、このFAカップ決勝戦の直前には「年間最優秀選手」にまで選ばれていた。

 対戦相手はバーミンガム・シティ。3-1とリードして迎えた後半30分にアクシデントが起きた。ゴール前に突進してきた相手FWの足元に飛び込んだトラウトマンが首を強打して倒れたのだ。しかし意識がもうろうとするなかで彼はプレーを続け、その後2回の決定的ピンチも防いでチームに優勝をもたらした。

 翌朝、ロンドンの病院で診察を受けると首の筋肉の「すじ違い」という診断だった。しかしマンチェスターに戻ってX線検査を受けると、首の骨が折れていたことが発覚した。少し間違えば生命の危険もある重傷だったのだ。幸いこの年の年末には復帰、41歳まで現役を続けることができたが、選手交代が許されないことが大きな悲劇につながるところだったのだ。

※第2回へ続く

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