そんなシメオネの監督としてのチームビルディングはどうだろうか。「戦う集団」をつくらせたら、彼の右に出る者はいない。

 シメオネが到着する前のアトレティコはスペインの2強に太刀打ちできるようなチームではなかった。もっと言えば、「スペイン第三のクラブ」に近かったのはバレンシアやセビージャだった。現に、2006-07シーズン(リーガ7位)、07-08シーズン(4位)、08-09シーズン(4位)、09-10シーズン(9位)、10-11シーズン(7位)とシメオネが就任するまでの5年間でアトレティコは4位以下に甘んじている。

 Partido a partido(パルティード・ア・パルティード/試合から試合へ)

 この信念をベースに、シメオネ・アトレティコは作り上げられていった。当時のアトレティコにトッププレーヤーはいなかった。翻せば、だからこそチョリスモ(シメオネ主義)の注入に成功したのだろう。

 規律。労働。プレー強度。球際の強さ。

 戦える選手が、シメオネの指揮下でスタメンを勝ち取っていった。

 コケサウール・ニゲス、リュカ・エルナンデス、アントワーヌ・グリーズマン、ロドリ・エルナンデス、トーマス・パーティー、マルコス・ジョレンテ……。シメオネの薫陶を受けていなければ、彼らは代表クラスの選手に成長しなかったかも知れない。

 シメオネは「選手目線」を持っている。プロのフットボーラ―にとって、一番の薬が何かを深く理解している。それは勝利だ。「試合から試合へ」の哲学を携え、ひとつひとつの試合で勝ってきた。ゆえに選手たちは彼を信じてついてきた。

 一方でシメオネにも弱点がある。選手の気持ちが分かるから、移籍をストップできないのだ。グリーズマン、ロドリ、L・エルナンデス、トーマスと毎年のように育てた選手がビッグクラブへと移籍している。無論、彼らの売却はクラブの利益になり、財政を潤す。そういった意味においてもシメオネは間違いなく名将だ。

 ただ、主力流出のたびにチームは弱体化する。2度、ビッグイヤー獲得に迫りながら、寸前で涙を呑んだ。この壁を突破できるかどうか。それがシメオネ自身の最大の挑戦だ。

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