■五輪フランス戦での強引なゴール

 では、釜本の何が「ワールドクラス」だったのか。

 JSL時代に公表されていたのデータによれば、釜本は179センチ、79キロ。だが、数多くの釜本の試合を見、釜本の名で出版された本も監修するなど、釜本の高校時代から最も近くで彼を観察し続けてきたジャーナリストである賀川浩は、「実際は182センチ」(『20世紀日本の生んだ世界レベルのストライカー 釜本邦茂(中)』賀川サッカーライブラリー)と書いている。日本ではもちろん、当時の世界では、間違いなく「大型ストライカー」だった。

 スピードもあった。ドリブラーというタイプではなかったが、スペースがあればぐいぐいとドリブルで進み、サポートがなければ自ら突破してシュートを決めた。フェイントの種類は多彩とは言えなかったが、タイミングと距離感がよく、相手を抜きにかかればほとんどの場合あっさりと抜いた。そしてすぐれたボディーバランスを生かし、相手のボディーチェックにも動じなかった。メキシコ・オリンピックのフランス戦では、右サイドでボールを受けて強引にひとりを抜き、角度のないところから強烈なシュートを決めた。

 何より、釜本はボールを受けてからシュートするまでの一連の動作が滑らかで、足の振りの速さもすばらしかった。得点力の高さは、ひとつには、ときに2人がべったりと張り付いたマーク相手を出し抜くこの「速さ」にあったのは間違いない。「止めた」と思ってタックルにはいっても、釜本はその直前に足を振り抜き、シュートを放っているのである。

 得意は右足だったが、左足シュートの強烈さも無視できない武器だった。彼の右足シュートを恐れるあまり、左に出たときには相手の対応が甘くなるのに気づいた釜本は、左足シュートの練習に熱中した、その結果、器用さでは右足に劣っても、破壊力では逆に上回る左足シュートを自分のものとしたのである。

※後編へ続く

  1. 1
  2. 2
  3. 3