後藤健生の「蹴球放浪記」 連載第16回「標高3600mのボカ」の巻の画像
ストロンゲスト対ボカのチケット
全ての写真を見る

(前回からつづく)

1978年、後藤さんはワールドカップが開かれるアルゼンチンを目指して、ペルーから南米大陸に上陸した。インカ帝国の首都クスコでは暴動と催涙弾の水平撃ちに遭遇し、逃げるようにオンボロ・バスに26時間ゆられてたどり着いた国境の町ユングヨの安宿で朝を迎えると、次の目的地はボリビアの首都ラパスだ。そこには、なんと超有名サッカークラブが待ち構えていた。

■元祖コパカバーナは湖畔の観光地

 さて、翌朝です。「ユングヨからボリビアに行くのにはどうしたらいいの?」と聞いてみると、旅館の主人は中央広場を指さして言いました。

「あのトラックがボリビアに行く」

 トラックの荷台には原住民アイマラ族のおばさんたちが10人くらい乗っていました。大きな袋にポップコーンやポテトを詰め込んで、これから国境を越えて行商に行くようです。

 僕も乗り込みました。すると白人の若い男性が乗り込んできました。ボリビア人学生だそうで、ありがたいことに彼は英語も話せました。「国境を越えれば、ラパス行きのバスはたくさん走っている」そうです。助かった!

 トラックが出発するとすぐに国境でした。まずペルー側で出国手続き。これは簡単に済みました。そこから100メートルほど歩くとボリビア側のイミグレです。ところが、係官は僕のビザを見てこう言いました。

「このビザじゃあ、一度リマまで行って手続きして来んと、こっからは入れんぞな」

 えっ、何、それぇ? ここからまたリマまで戻るなんて!

 旅慣れた人ならピンと来るでしょう。彼はワイロを要求していたのです。しかし、ウブな日本人青年は目をシロクロするばかり。すると、あちらも「こりゃ、埒明かんぞ」と思ったのでしょう。「50ペソ」とはっきり金額を提示して要求してきました。で、言われた通り50ペソ(750円)を渡すとすぐに入国のスタンプを捺してくれました。

 こうして、バスはティティカカ湖に突き出した半島の先端部分にあるボリビア領の町、コパカバーナに着きました。

 南米に詳しい人は思ったことでしょう。「コパカバーナ? それってブラジルのリオ・デ・ジャネイロにある有名なビーチの名前じゃないの?」と。

 じつは、元祖はこのボリビアの町なのです。ここに「コパカバーナの聖母」という有名なマリア像があって、昔から南米中の信仰を集めていました。その聖母を祭る教会がリオの海岸近くに建てられたので、リオのあのビーチが「コパカバーナ」と呼ばれるようになったのです。

 コパカバーナは湖畔にビーチ(湖水浴場?)もある有名観光地でした。おかげでラパス行きのバスは本当にたくさん出ていました。今度は快適な新しいバスで、フェリーでボリビア本土に渡ってからは道路も舗装されていてアッという間にラパスに着きました。ペルーでは暴動がさらに激化しているようでしたが、ボリビアは平和そのものです。

PHOTO GALLERY 全ての写真を見る
  1. 1
  2. 2