■谷底のスタジアムに最強ボカ・ジュニアーズがやって来た
ラパスでは知り合いの日本航空支店長、グスタボ田中の家に泊めてもらいました。大勢の日本人や日系人がいました。ボリビア生まれの「日系二世」たち(グスタボも二世です)。商社や自動車会社の駐在員。そして、高地の観測所で働く天文学者たち……。彼らは毎晩のように一緒に飲み歩いているのに互いに不信感を持っているようで、「あいつらはなぁ……」と僕に互いの悪口を言ってきます。日本人社会の“裏の顔”とでも言いましょうか……。
ラパスは標高4000メートルの高原に穿たれた大きな谷の中に作られた都市です。標高3600メートルほどの谷底が高級住宅街になっています。なぜなら、この街で最も酸素濃度が高い場所だからです。そして、同じ理由でスタジアムも谷底にあります。
ラパスに着いた翌日、そこで試合がありました。それも、嬉しいことに2試合も!
第1試合はボリビア国内リーグのムニシパル対ストーマーズ、そして第2試合はボリビア最強の、その名も「ストロンゲスト」とアルゼンチンのボカ・ジュニアーズとの親善試合でした。当時のボカは1977年、78年とリベルタドーレス杯2連覇中。そして、監督はかの有名なフアン・カルロス・ロレンソでした。
1980年代、90年代にはアルゼンチンの指導者は誰もが「俺はメノッティ派だ」、「俺はビラルド派だ」と言い合っていました。1978年ワールドカップで優勝したのがクリエイティブな攻撃サッカーを志向するセザール・メノッティ監督。そして、それと対照的に守備偏重でラフプレーも辞さないサッカーをしたのが86年大会優勝のカルロス・ビラルド監督です。
そのビラルドの師匠にあたり、ヨーロッパに勝つために守備的サッカーを始めたのがカルロス・ロレンソでした。1962年、66年のワールドカップでは代表監督を務めています。
試合は16時開始の予定でしたが、実際に始まったのは16時33分。ハーフタイムは20分以上ありました。
ボカは、高地での試合だったにも関わらず、地元のストロンゲストより運動量が多く、4対2で快勝。右ウィングのエルネスト・マストランヘロが素晴らしいドリブルを見せてくれました。
それにしても、3600メートルの高地でよく走れるものです。ボカは試合前日には標高400メートルのボリビア第2の都市、サンタクルスに宿泊。試合当日に高地のラパスに入ってそのまま試合をして、終了後はすぐに空港に向かってブエノスアイレスに戻るそうです。
いずれにしても、高地が苦手な僕には驚異でしかありませんでした。