■9000万円近くで買い取りを望んだキエーヴォ

 イタリアは当時、まだ世界最高峰のリーグとして位置づけられていた。その戦術大国の知将と共闘したならば、また大きく違うキャリアを歩んでいたかもしれないが、稲本が選択したのはアーセナルだった。

 キエーヴォは稲本の獲得に「確か80万ユーロ(当時のレート、1ユーロ=110円と換算して、8800万円)くらい」(田邊氏)の移籍金を用意していたという。ローマのリーグ優勝に貢献した中田英寿氏の活躍があったがあったとはいえ、まだ日本人への評価は高くなかった。

「日本人が引く手あまただったわけじゃないんです。弊社が欧州で稲本の売り込みをする時にも、イタリアでは『稲本のユニフォームは何枚くらい売れると思うか?』と聞かれたり、どれくらい観光客が来るかという話がメインで、商業ベースで選手を取るという風潮が色濃く残っていた時代でした」

 最近のJリーグでは、タイやベトナムなど東南アジアからの選手獲得が増えている。当初はスポンサー目当てが先行している感があったが、2017年に北海道コンサドーレ札幌へやって来たチャナティップらが活躍してからは、本格的に戦力として獲得するクラブが増えた。当時の欧州の日本人への見方の変化と、似たところがあるかもしれない。

「そうですね、今ならば日本のクラブがマレーシアの選手を取る感じですしょうか。タイの選手は、ちょっとステージが上がっていますからね」

 まだ日本人選手が認識されていない時代に、イタリアのクラブが1億円近い移籍金を支払っても獲得したいと申し出るのは、よほどのことだ。最終的に稲本が選んだアーセナルも、田邊氏側から要求することはないほど恵まれた条件・待遇を提示してきたという。

 ヴェンゲルと付き合いが続くことで、田邊氏にはわかったことあるという。クライアントの一人である浅野拓磨(現パルチザン・ベオグラード=セルビア)の2016年のアーセナル移籍の際にも、その思いを強くした。

「浅野の移籍の時も、ヴェンゲルから弊社スタッフに直接、電話が来ました。コミュニケーションを取れる関係があり、長い付き合いがあったから分かるのですが、結構直観で選手を取るんですよ。だから稲本に関しても、知っていたから多少は情報が入っていたとは思いますが、単純にコンフェデレーションズカップでの解説で何試合か見て、獲得を決めたんだと思います」

 アーセナルを皮切りに欧州で長いキャリアを築いた事実は、稲本の実力を物語る。だが、スタート地点に立った20年近く前、日本と世界の間には今では想像できないほどの距離があったことも、また事実だった。

 21世紀に入ったばかりの衝撃の移籍の後、日本と世界のサッカー界は大きくその様子を変えていくことになる。

(つづく)

 

田邊伸明(たなべ・のぶあき)

1966年、東京生まれ。大学卒業後、スポーツイベント会社に就職し、1991年からサッカー選手のマネージメント業務を開始するなど、一貫してサッカーとスポーツに携わる。1994年、代表取締役として株式会社ジェブエンターテイメントを設立。1999年に日本サッカー協会FIFA(国際サッカー連盟)選手代理人試験を受験し、2000年にFIFAより選手代理人ライセンスの発行を受け、現在も多くのアスリートのサポートを行う

 

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