ジョルジェヴィッチ監督の友情
ブエノスアイレスのドックスード地区で「悪漢」たちに持って行かれたショルダーバッグはどうせ安物だし、取材ノートはほぼほぼ白紙でしたから、パスポート以外に実害はありませんでした。
ただ、心残りは盗まれたパスポートに捺してあった“珍品”ビザの数々でした。カザフスタンの(当時の)首都アルマトイにある山小屋風のキルギス大使館で作ってもらったビザもそうですが、珍品中の珍品はサウジアラビアの緊急ビザでした。
1997年のフランス・ワールドカップ1次予選はダブル・セントラル方式で、日本が入ったグループ4の第1ラウンドはオマーンの首都マスカットで行われました。その直後にサウジアラビアがマレーシアなどを迎え撃つグループ1の試合がサウジアラビアのジッダ(ジェッダ)であるので、ついでにそれも見て来ようと考えたんです。
さて、ビザはどうしたらいいのでしょう。
サウジアラビア政府が2019年に発給を開始した観光ビザはオンラインで簡単に申請できるらしいですが(現在は新型コロナウイルス問題のため発給を停止中)、1997年当時は観光ビザなどはなく、現地の受け入れ機関に依頼して内務省に申請してもらってビザ番号を受け取ってから東京・六本木の大使館に行くしかありませんでした。
そこで思い出したのがアルナスル(UAE)のセルビア人監督ゾラン・ジョルジェヴィッチでした。前年12月にアジアカップを見に行った時に知り合ったゾランは「昔、サウジアラビアでも監督をしてたんで連盟にも顔が効くから、もし行くことがあればいつでも話を通してやるよ」と自慢げに話していました。早速ゾランに連絡すると「よっしゃ!」と二つ返事。ビザが取れたら連絡をくれるという約束になりました。許可されたら、東京かマスカットの大使館でビザをもらうつもりでした。
3月23日の初戦でオマーンを1対0で下した日本はマカオにも勝って順調に2連勝。だが、ゾランからの連絡はありません。で、「やっぱり無理だったか」と諦めていたんですが、最終ネパール戦の前日になって「ビザが取れた。ビザはジッダの空港の入国審査場に用意できてるから手ぶらで来い」というFAXが来ました。
そこで、ジッダまでの航空券を買うためにそのFAXを持ってガルフ航空のマスカット・オフィスに行ったのですが、ガルフ航空は「ビザがなきゃ航空券は売れない」と言う……。もっともな話です。ビザなしでサウジアラビアに向かうなんて普通ありえないことでしょう。それでも粘ってみたら「では本社に照会するから明日また来い」ということになり、ネパール戦の当日昼に航空券も手配できました。