マルコ・アセンシオ、フェデリコ・バルベルデ、ヴィニシウス・ジュニオール、ロドリゴ・ゴエス、マルティン・ウーデゴール...。ここに挙げたのは、近年レアル・マドリーが獲得してきた「至宝」たちである。
フロレンティーノ・ペレス会長が若手推進プロジェクトへと方針を切り替えた裏には、当然、クラブの財政事情がある。もっと言えば、フットボールの状況自体が劇的に変化した。マンチェスター・シティ、パリ・サンジェルマンをはじめ、アラブ人オーナーが就任したクラブにおいて、資金調達における問題は基本的に生じない。オイルマネーを武器に、商品と化した選手たちをフットボールの世界で買い漁るという現象が、実際に起きている。
彼らにマネーゲームを挑むのは得策ではない。それがペレスの判断だった。そして、もうひとつ、ペレスとマドリーにとって決定的な出来事があった。
ネイマールの獲得失敗だ。
■14歳のネイマールを狙う
マドリーとネイマールの間には、長い物語がある。彼をめぐっては、マドリーとバルセロナが「場外クラシコ」を繰り広げる展開に発展した。まず、ネイマールに最初に唾を付けたのはマドリーだった。14歳だったネイマールを、マドリーが確保するために動く。2006年に、ネイマールは父親のネイマール・シニアと共にスペインに赴き、マドリーのカンテラーノと一緒にトレーニングを行い、ロナウドやジネディーヌ・ジダンと挨拶を交わしている。
マドリー側は、ネイマールの選手登録を行おうとしていた。ダニ・カルバハルやパブロ・サラビアがいたインファンティルA(ジュニアユース世代)にネイマールを加えようとした。「息子は14歳で初めて100万ユーロという大きな額を得た」とネイマール・シニアが豪語しているように、ネイマールのマドリーでの練習参加は大きな意味を持った。最終的には、ネイマールの引き留めに執着したサントスが、彼を成人として扱い事実上の最初のプロ契約を提示(これは後に問題として表面化)したといわれている。それだけではない。育成費という名目でサントスからネイマール側に報酬が渡されたとも、サントスが100万レアル(約2000万円)をネイマール側に支払ったとも、練習場付近のアパートをネイマールたちに貸し出したとも、「プロ選手にさせる」という条件が載せられていたとも、囁かれている。
とにもかくにも、ネイマールはサントスに残留した。14歳の時の練習参加が、ネイマールの選手としての価値を高める一助となったのは間違いない。一方で、マドリーとしては、ネイマールに利用される格好となった。そして、その後には、バルセロナとの争奪戦が待っていた。