湘南ベルマーレ会長に聞くJリーグ移籍の現在・未来(2) 「生き残る策は欧州とのつながり」の画像
湘南ベルマーレの眞壁会長

「育成型クラブ」を目指し、選手を輩出する湘南ベルマーレ。J2も長く経験したが、今季は2010年以降で初めて3シーズン連続でJ1を戦うことに成功した。今後は、どのように進むのか。クラブを長らく率いる眞壁潔会長に、「育成型クラブ」としての未来の展望を聞いた。 (非常事態宣言発令前の2020年3月第3週に取材)

環境が生んだ湘南スタイル

――お話に出てきた「平均年齢の低いチームでやっていく」ことを決めたのは、どうしてですか。

「曺(貴裁)が監督になって、いきなり昇格を決めた2012年ですね。若い選手で十分通用するじゃないか、と感じました。

 自前で育てた菊池大介(現アビスパ福岡)や遠藤航(現シュツットガルト=ドイツ2部)、古林将太といった若手でやっていけると、当時の強化部長も言っていましたが、曺も含めて不安はあったと思います。それでも、2011年の震災の影響で債務超過に陥り、若手主体でやらざるを得なくなったんです。それで曺に頼んでやってもらったところ、実際にできたというのが実情です。ただ、あらためてヨーロッパを見てもチームの平均年齢は若いものだし、ブンデスリーガでも90分間走ってるじゃないかという発見をしながら揉んでいってでき上がったのが、現在の湘南スタイルでした」

――湘南スタイルは、苦肉の策だったわけですか。

「当時の強化部長はスペインにいたこともあるので海外とパイプがあり、曺も頻繁にドイツに行って、欧州サッカーを見ていました。反町(康治)監督の下でコーチをしている頃から、欧州のサッカーは変わってきている、と曺は言っていました。ソリ(反町)さんもそれは分かっていたけれど、『このレベルでは無理じゃないか』という議論を、J1昇格を決めた2009年頃にはもうしていましたね。

 当時はベテラン選手を集めて、ソリさんが天才的な構造物をつくり上げて昇格しましたが、J1では通用しませんでした。やはりJ1を戦力外になったベテラン選手に頼るだけでは不十分で、伸びしろを持った伸び盛りの選手と一緒に昇格しないと可能性は広がらないんです。

 2013年は1年でJ2に戻ることになりましたが、明らかに永木亮太(現鹿島アントラーズ)や遠藤航といった若手は伸びていました。そういった選手が中心となって、2014年にはぶっちぎりの成績でJ2優勝を果たしました」

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