1986年メキシコ・ワールドカップに向けてアジア1次予選が始まり、東京・国立競技場での北朝鮮戦は雨で泥沼のようなピッチになってしまいましたが、原博実のゴールを守り切った日本が先勝。アウェーで引き分ければ2次予選進出が決まることになりました。1985年4月。会場が平壌(ピョンヤン)という、なかなか行くことのできない場所だったこともあって、僕は選手団に同行することにしました。
森孝慈監督以下の日本代表と同じ飛行機で北京に渡り、北朝鮮大使館でビザをもらって、翌日、朝鮮民航のアントノフ24型機で平壌に向かいました。
順安(スナン)空港に到着し、宿舎の平壌ホテルに入りました。選手団と同宿で、廊下の向こう側が選手団、こちら側が取材陣という部屋割りです。記者団はたったの9人。ワールドカップ予選の大一番でもテレビ中継もない、そんな時代でした。
北朝鮮では外国人の団体には必ず案内人が付きます。要するに“監視”ですよね(案内人との楽しい交流の思い出については、また別の機会に……)。
打ち合わせの後、案内人たちが言いました。
「記者の皆さん、滞在中に何か希望があれば、一つずつ言ってください」
そこで、僕は言いました。「名物のケジャンを食べたい」、と。
「ケジャン」というとワタリガニを漬け込んだ料理を思い出すいも多いでしょうが、カタカナでは同じ「ケ」なんですが、ちょっと発音が違います。ここで言う「ケ」は朝鮮語で「犬」。漢字はありません。ちなみに「ジャン」は「醤」という漢字です。
朝鮮半島で犬を食用にするということは皆さんもご存じのことでしょう。ただし、犬料理の本場は朝鮮半島北部で、南部では犬は食べません。
ソウルにも犬料理屋はたくさんあります。赤い旗に「ポシンタン(補身湯)」と書いてあるのが目印です。犬肉を真っ赤なスープでグツグツ煮込んだ料理です。脂っこい肉の臭みを消すために、濃厚なスープで煮込んでいるのでしょう。僕は中国東北部の吉林省延辺朝鮮族自治州の延吉でも犬料理を食べたことがありますが、こちらもソウルの補身湯と同じような調理でした。
ソウルで「ケ」または「ク(狗)」という言葉を使わずに「補身湯」という言葉を使うのは、やはり「犬」という言葉に後ろめたさがあるからでしょう。とくに1988年のソウル五輪の頃からは外国の目も気にして「犬」という言葉を使わなくなりました。北朝鮮でも「犬」と言わずに「タンコギ(甘い肉)」という言葉を使うこともあります。
さあ、名高い本場の犬料理はどんなものか……。僕は楽しみにしていたんですが、案内人たちはなかなか連れて行ってくれません。時々確かめてみると、「ただいま努力しております」と言うばかりで毎日が過ぎていきました。