初めてイランに行ったのは1997年のフランス・ワールドカップ一次予選の時でした。シリアの首都ダマスカスでの第1ラウンドを見てからシリア航空の年代物のロッキードL10型機でテヘランに向ったんです。その機内で何人かのイラン人記者と知り合ったんですが、テヘランでは毎日のように彼らの自宅に誘われました。
男女別でペルシャ絨毯に車座に座って宴会が始まります。残念ながらアルコールは出ないんですが、互いに詩的な言葉をやり取りすることで次第に高揚して盛り上がります。で、宴会が終わると「夕方までお休みください。その後、スタジアムまで一緒に行きましょう」と寝室のベッドを貸してくれます。
そう、イラン人というのは本当に文化的な人たちです。ガチガチの宗教国家のようにも見えますが、市内では十字架や仏像のアクセサリーなんかも平気で売ってました。
で、記者たちの一人がカスピ海沿いのラシュト出身で「あそこは天国のようだ。ラシュトを見なければ本当のイランを見たことにならない」と言うんですね。だけど、ラシュトはちょっと遠いので行くのは無理そうです。
しかし、地図を見ていて気が付いたわけです。「世界一の湖、カスピ海は近いゾ」と。
早速ホテルのレセプションで「カスピ海を見に行けるか?」と聞いたら、100ドルでタクシーをチャーターできるというのです(イスラム革命後、彼らはアメリカのことを「大悪魔」と呼んでますが、高額取引ではやはり米ドルが一番信頼されます)。
朝7時にやって来たのはイランの国産車「ペイカン」のタクシーでした。イラン人は時間に正確で約束の時間には必ずやって来ます。ただ、失礼ながら、こんなボロ車で最高峰5610メートルというアルボルズ山脈を越えていくのはちょっと不安でした。
テヘランから北上してすぐに峠越えにかかります。喘ぎあえぎ、登って行った峠も優に3000メートルはあったでしょう(テヘランの標高は約1200メートル)。
峠を越えると景色が一変します。日本人が「イラン」と聞くと砂漠を思い浮かべるでしょう。たしかに、国土の大半は砂漠地帯です。しかし、カスピ海沿岸は降水量も多く、山は森に覆われ、低地は一面が水田で稲作をしています。
今は高速道路ができているようですが、当時、峠越えの道路は2車線対面交通の一般道で、貧弱なガードレールの向こう側は数百メートルの断崖でした。