■「半年間試合に出られない」苦しい時期も
2017年のU-17W杯では日本代表メンバーに選ばれ、久保建英や鈴木彩艶、菅原由勢らと共闘した。その中村は、初戦のホンジュラス戦でハットトリックを達成。大会通算で4得点を挙げた。
日本は決勝トーナメントでイングランドにPK戦の末に敗れたが、そのイングランドは後にこの大会で優勝する。イングランドU-17代表には、DFマルク・グエイ(マンチェスター・C)の現A代表のほか、W杯メンバーからは外れたがプレミアで活躍中のフィル・フォーデン(マンチェスター・C)やコナー・ギャラガー(トッテナム)もいた。少年時代に憧れた欧州は、少しずつ現実の対戦相手になっていった。
17歳でガンバ大阪と契約した中村は、18歳11か月のタイミングで海を渡った。最初の舞台はオランダのFCトゥウェンテ。そこからベルギー、オーストリア、フランスへと、26歳になった今までに4か国を渡り歩いてきた。
「若かった。17歳でガンバに入り、18歳の終わり頃に海外に移籍しました。19歳はオランダで1年やりました。その後に、ベルギーのシント=トロイデンに行きましたが、半年間試合に出られませんでした。苦しい時期でした。最終的に半年後、オーストリアに舞台を移し、すぐ上げてもらえたのです」
オランダでは開幕戦でゴールを決める華々しいスタートを切ったが、その後は出場機会を失った。ベルギーでも苦しんだ。普通なら、挫折の物語として語りたくなる時期だろう。だが、中村の言葉には、必要以上に過去を重く扱う感じがない。
「環境は変わり変わりでした。その後に移籍したオーストリアのLASKリンツと、フランスのランスで、どちらもかなり成績を残せたと思っています。なので、焦らずやるのが一番いいかなって思いますね」
焦らずやる。この言葉は、中村の海外挑戦を読み解く鍵になる。
オーストリアでは、まず2部のFCジュニアーズOÖでプレーし、その後、同国1部のLASKリンツへ移った。ここで得点を重ね、2022−23シーズンには公式戦通算17ゴールをマークした。欧州で評価を高め、リバプールなどから注目されるようにもなった。
日本のA代表への道も、そこから開けていく。華やかな成功の前には、カテゴリーを下げて自分を立て直す時間があった。
「チームに勝てないときがあると、どうしても若い選手に厳しい目が向けられがちです。僕も出場機会を失ったりもしましたけど、ここ5〜6年は安定してずっと試合に出ています」
海外でプレーするとは、環境が変わることの連続である。監督が変わり、チームメイトが変わり、言葉も文化も変わる。評価は簡単に変わるし、時には周囲の言葉に振り回されることもある。中村自身、若い頃はそうだったという。
「自分自身、海外に来て、けっこう変わりました。僕は、何でも突き詰めてやるタイプだったんです。サッカーのことをずっと考えている。そういうタイプだったんですけど、年を重ねて経験していくにつれて、変わっていったのかなと思っています」
では、何が変わったのだろうか。
後編に続く

























