■キッキング・ゲームから「パッシング・ゲーム」へ

 パス・サッカーは1860年代のスコットランドで生まれた。

 1863年にフットボールの統一ルール(サッカー・ルール)が制定されてから3年目の66年にオフサイド・ルールが改正され、守備側の後方から3人目(現在は2人目)より手前にいる選手はオフサイドではなくなった。それまでは、今のラグビーと同じようにボールより前の選手は全員オフサイドだったから前方の味方にパスすることはできなかったが、ルール改正によって前方へのパス(フォワードパス)が可能になったのだ。

 こうして、それまではキッキング・ゲームだったサッカーはパッシング・ゲームに変貌した。

 最初にパス・サッカーを“発明”したのがスコットランドの名門クイーンズパークFCだったので、「イングランドのロングパス」に対して「スコットランドのショートパス」として有名になり、パッシング・サッカーは中央ヨーロッパ(オーストリアやチェコ、ハンガリー)などに伝わり、アルゼンチンでは遠征してきたハンガリー・チームのプレーを真似てパッシング・ゲームを始めたという。さらに、スコットランド人からサッカーを習ったビルマ人留学生チョーディンによって1920年代初めには日本にも伝わった。

 さて、パスの技術が高まれば必然的にポゼッション率が上がる。ボールを保持し続ければ、相手に攻め込まれる回数は少なくなり、勝利の確率も高くなる、はずである。

 アルゼンチンにとっては、パスをつなぐことは生命線ともいえる。

 第2戦ではオーストリアの果敢なアプローチを受けて、さすがのアルゼンチンも簡単にパスをつなげず、苦しい試合となった。そして、獲得したPKもメッシが外してしまう。

 すると、30分過ぎにアルゼンチンは中盤でパスを回し続けることで自らのリズムを取り戻していった。攻撃するためではないから、パスを前線につけることなく、メッシも中盤に下りてきてパス回しに参加。2分ほどパスを回し続けることによって立て直しを図ったのだ。

 そして、39分にメッシの先制ゴールが生まれた。

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