【サッカー今日は何の日?5月20日】負傷でワールドカップを逃した希代のアタッカーは「ジョホールバルの歓喜」の年生まれ!プレミアリーグのシーズン最多得点記録保持!の画像
「ジョホールバルの歓喜」とともに生まれた申し子!

1993年の5月15日にJリーグが開幕し、同年の10月28日に『ドーハの悲劇』、そして1997年11月16日の『ジョホールバルの歓喜』を経て、初めてワールドカップ出場を果たした日本サッカー界。このシリーズ連載では、時に人々を歓喜させ、時に人々を悲嘆させた、日本サッカーの歴史を紐解きながら、サッカーに関連する「今日の出来事」を紹介する。

 日本代表がワールドカップ初出場を決めた1997年の5月20日に神奈川県川崎市に生まれたのが、三笘薫。高校年代までは無名の存在だったが、筑波大学に進学後してから急成長し、ユース年代まで所属した川崎フロンターレが3年次に卒業後のプロ契約を決めた。

 Jリーグのユースから大学を経てプロ、海外移籍という現在の日本代表でも増えてきたキャリアを歩む代表選手でもある。

 2020年に川崎入りすると開幕戦で途中出場してプロデビュー、シーズンを通して13得点12アシストでベストイレブンに選出された。翌21年8月にはプレミアリーグのブライトンへ。ベルギーへの期限付き移籍を経て、同11月の日本代表初出場後の翌22年からブライトンに復帰。8月にプレミアデビューを果たし、翌シーズンには7点をマーク、1シーズンにおける日本人のプレミア最多得点者になった(以前は香川真司岡崎慎司の6点)。

 日本代表としては、22年カタール・ワールドカップのスペイン戦(グループステージ第3戦)で川崎時代の同僚、MF田中碧が決めた決勝点の際、左サイドからゴールラインぎりぎりから折り返したアシストが「三笘の1ミリ」として話題になった。

 左ワイドから独特の間合いでしかけるドリブルから繰り出すチャンスメーク、カットインしてのゴールに加え、素早いトランジションとプレスバックで守備面でも貢献するきわめて現代的なプレーヤーが、現在の日本代表の隆盛の起点になった年に生まれ落ちたことは、日本サッカーにとって極めて暗示的といえるだろう。

 29歳の誕生には北中米ワールドカップ出場メンバーとして迎えるはずだったが、残念ながら負傷のためにメンバーから外れた。

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