後藤健生の「蹴球放浪記」第276回「フェンウェイ・パークの歓声を聞きながら」の巻(2)バッジョを「悲劇のヒーロー」にしたMLBオールスター戦、日本人の夢を「実現させた」野茂英雄の渡米の画像
1966年秋に、ドジャースが来日。当時、大リーグで日本人がプレーできるとは誰も思ってなかった。提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生は、サッカー以外のスポーツを観戦することもある。最近の日課は、日本人のコンプレックスを吹き飛ばしてくれた「二刀流」の活躍。彼の「38号ホームラン」を見て思い出すのは、悲劇のヒーロー、ロベルト・バッジョが活躍した1994年アメリカW杯。当時の現地取材でかなえられなかった「宿願」を、来年の北中米W杯ではかなえたいという!

■イタリアが「不利」になった理由

 さて、ワールドカップ期間中もMLBは普通に試合をしていました。

 この大会の準決勝2試合は同じ7月13日に行われ、イタリアはニューヨーク(イースト・ラザフォード)でブルガリアを破りましたが、決勝戦のあるロサンゼルス(パサデナ)までは5時間のフライトを強いられました。一方、ブラジルは準決勝をパサデナで戦いましたから移動なしでした。

 本来は、ニューヨークの準決勝は1日前に行われるはずだったのですが、MLBのオールスター戦とバッティングするので、2つの準決勝が同日開催になってしまったのです。

 ボストンでのホテルは、本当にフェンウェイ・パークのスタンドのすぐ外だったので、部屋にいても歓声が聞えてきました。

 生で歓声を聞きながら、テレビでMLB中継を見るという面白い体験もしました。

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