■川崎がつないできた「縁」

 さらに、吉本監督にJリーグがない高知県で盛り上がったことの意味を聞けば、「(春野も)7000人の方々が来られるようなスタジアムなんだなと、希望があります。だからこそ、高知県のスポーツを変えていきたい。こういう感動を与えられた機会を自分たちで選手がメインとなって作りあげた希望がある」とも熱っぽく明かした。
 当時の高知で10番をつけてプレーしていた横竹翔に話を聞いても、「たくさんの方々の前で試合をする機会がない中で、本当に貴重な体験ができました」と笑顔を見せてくれた。25年5月3日に迎えるジェッダでのACLE決勝は、そうした多くの人との時間の積み重ねの上にある。
 その試合でもう一つ印象的だったのは、出場機会の少ない選手たちの気持ちである。
 当時の佐々木はベンチからスタートする機会が多かった。なかなか先発の座が掴めない中で、それでも腐らずに試合に挑めたのは、瀬川祐輔の言葉と姿勢が大きかったと明かしていた。
「瀬川(祐輔)くんがベンチを盛り上げてくれて、“俺らがやるぞ”ってずっと言ってくれて、そういう先輩がいるんでみんな気合入っていますし、サブの選手で結果を残そうっていう思いが終盤の勢いにつながっている」
 当の瀬川にその話を振ると、「いや、俺もサブいやですよ、もちろん」と話したうえで、「だから、自分に対しても盛り上げる気持ちが強いですよ、悔しいですから」と説明。そして、「ゴールと一緒ですね。自分が活躍するためにゴールを決めて、それがチームのためになれば」とも明かしていた。
「みんながつないでくれた」という言葉を使うのは簡単だ。一方で、「みんながつないでくれた」ことをここまで示す道のりはない。川崎がつないできた「縁」を胸に秘め、“アジア青覇”を成し遂げてほしい――。
(取材・文/中地拓也)
【その2につづく】

(2)へ続く
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