【J1川崎を取材して感じた「育てる力と心」とは(16)】川崎市外に及ぶクラブの好影響力。成長と発信力が日本各地に届けたものとは……高知、岡山、岩手を好例に、広げ続けるサッカークラブの可能性の画像
23年天皇杯・高知戦後には高知の選手とサポーターとの交流も持たれた 撮影:中地拓也
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 文字通りのお祭りだった。川崎フロンターレが高知県高知市で初めて試合を行った2023年8月4日のことである。
 天皇杯ベスト8をかけて、川崎は県立春野総合運動公園陸上競技場に乗り込んだのだが、当時、Jクラブがなかった街にJ1強豪チームが来るとあって会場は人でごった返す。JR高知駅から車で30分走った山の中に、平日・水曜日とは思えぬほどの賑やかな空気の中で出店が立ち並んでいたのだ。
 実際、この競技場としては当時最高となる7243人もの観客が訪れ、1000台用意された駐車場はすべて埋まってしまったほど。違法駐車を止めるよう、アナウンスが繰り返し流された。
 Jリーグクラブがなかった当時の高知で、この数字は希望だった。等々力であれば、満席時の3分の1かもしれない。しかし、それがかなわない地域もある。
 試合後、吉本岳史監督は「7000人の中でやったことがない選手がほとんどなので、非常に選手の背中を、0-0の時間を長く続けるための歓声だったと思います。7000人を超える方々に来ていただいて、本当に感謝しています」と話すと、さらに、「高知県には、J1と3試合、しかも横浜FCとフロンターレは地元で開催できたのは大きな希望ですし、7000人の方々が来られるようなスタジアムなんだなと。そこに関しては希望があります。だからこそ、高知県のスポーツを変えていきたいというのが、我々のチームのモットーでもありますし、街を元気にしていきたいという部分に関しては、こういう感動を与えられた機会を自分たちで選手がメインとなって作りあげた希望がある」とも話して、サッカーの力で街を元気にしたいと意気込んだ。その気持ちを、川崎フロンターレが作ったのだ。

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