■圧倒的にボールを支配されるも「大奮闘」

 近年言われるように、日本が守りっぱなしであったわけではない。開始3分には路木が左サイドを突破して鋭いクロスを送り、中田のシュートがわずかに右にそれるという場面があった。22分には、中田のロングシュートがブラジル・ゴールを襲い、わずかにバーを超えた。

 もちろんブラジルが圧倒的にボールを支配したが、日本もボールを持つと果敢にパスをつないで攻めた。CKも何本かあり、守備陣の奮闘でブラジルに決定的なチャンスはつくらせなかった。

 後半、ザガロ監督は動きの良くなかったアマラウに代えてゼエリアス(代表11試合)を投入、日本ゴールへの圧力を高めた。8分には、ドリブルで持ち込んだジュニーニョのシュートが日本ゴールの左ポストを直撃した。ブラジルは後半18分にはサビオに代えてFWにロナウドを投入する。

 当時、ロナウドは「ロナウジーニョ」と呼ばれていた。彼が17歳で初めて出場した1994年ワールドカップでは、ロナウド・ロドリゲス・ジ・ジェズスという大型ディフェンダーがいて、通常は「ロナウド」の名でプレーしており、ブラジル代表では「ロナウドン」と呼ばれていた。「大きなロナウド」という意味である。それに対し、17歳のロナウドは「ロナウジーニョ(小さなロナウド)」だった。

 このアトランタ・オリンピックでも、DFラインにはロナウド・グイアロという大型のセンターバックがおり、背番号18をつけまだ19歳だったロナウドは相変わらず「ロナウジーニョ」だった。この後すぐに彼はブラジル代表のスターとなり、1998年では世界的な選手となって「ロナウド」の名が定着、2002年ワールドカップでは「新しいロナウジーニョ(ロナウド・ジ・アシス・モレイラ)」が現れた。

(4)へ続く
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