■全国の9地域から「有望な選手」を推薦
こうした徹底した強化とともに、日本のサッカーにとって見逃してはならない「変化」もあった。それまでの日本では、高校選手権など全国大会で活躍した選手がユース代表に選ばれ、そこから代表になっていくという形が多かったが、この大会の候補選手を選ぶために全国の9地域から有望な選手を推薦してもらい、その選手たちを集めてそこからピックアップするという方法がとられた。これが後に「トレセン(トレーニングセンター)」となり、日本のサッカーがタレントを発掘する大きな力となった。
越田剛史は石川県の県立金沢桜丘の無名選手だったが、182センチという長身とともに抜群の身体能力を持ち、「国際試合で活躍できる選手」として松本の目に止まった。
「この大会に選手を送り込もうという熱意が、地域の指導者たちの意識を変えた。ただ高校などの大会で勝とうというのではなく、みんなで日本を代表する選手を育てようという意識が確立された」と、松本は話す。指導者たちのこの「意識改革」は、その後の日本のサッカーの発展の重要な礎となる。