自らの責任や権限を「放棄している」ように

 おそらく、仲間のアドバイスがあったので、自分が下したジャッジを変えたのだろうが、外から見ていると、長崎の抗議によって判定を変えたように見えてしまう。主審の行為は、自らの責任とか権限を放棄しているように写ってしまうのだ。
 人間の判断は間違いをともなうし、過ちも犯してしまうことがある。だから、間違いを正すのはいいことだが、サッカーにおいての主審の行為としてはお粗末に見える。なぜなら、人の意見で最初に下した自分の意見を変えたことになるからだ。
 2つ目は、自分がアディショナルタイムを5分に設定しておきながら、長崎のフアンマ・デルガドのPKが決まったのは、102分を過ぎていたことだ。合計12分のアディショナルタイムになっている。
 はたして、長崎側に自分の下した判定について、こんなに時間をかけて説明する必要があったのかどうか。
 ノーファールと宣言した自分のジャッジに不安があったので、説明に時間をかけながら仲間のアドバイスを受け入れて、ジャッジを変更した。結果、抗議すれば、ジャッジが覆るケースもあるという悪例を作ってしまった。
 水戸側はクラブとして、主審のこの行為を問題にするべきである。

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