■JSLの強豪があった「北九州」の工業地帯
その旧若松市(現・若松区)と旧戸畑市(現・戸畑区)の間には「洞海湾(どうかいわん)」という細長い湾が横たわっています。かつて、九州北部には筑豊炭田があり、北九州は日本有数の工業地帯でした。明治時代には政府が八幡に官営の製鉄所を建設。その後、民営化されて日本製鐵となり、戦後は八幡製鐵となりました。
八幡製鐵は実業団サッカーの強豪でもあり、1965年に日本サッカーリーグ(JSL)が発足した頃には、毎年のように広島の東洋工業と優勝争いを繰り広げていました(その後、八幡製鐵は合併を繰り返して現在は日本製鉄となっています)。
洞海湾はこうした工業地帯を支え、石炭の積み出し港として繁栄していたのです。
しかし、洞海湾を越えて若松と戸畑を結ぶのは連絡船しかなかったため、洞海湾を越えて両市を結ぶ橋の建設が計画され、1962年に完成したのです。