■最初の活用方法

 現在、ビブスは、サッカーのトレーニングに不可欠なものとなっている。しかしこれが使われるようになったのは、そう古くはないような気がする。1970年代から1980年代にかけてのことではないか。少なくとも、1960年代のことではない。ビブスが導入されるまで、トレーニングで組分けが必要なときには違う色のシャツを用いていた。

 1970年代のはじめにある日本人カメラマンから聞いた話を思い出す。彼がどのようにウェンブリー・スタジアムでのビッグマッチを取材したかという自慢話だった。申請はするが、実績のない日本人カメラマンなど相手にしてもらえない。そこで仲間の英国人カメラマンに助けを求めたのだという。

 当時、ウェンブリーでは数色のビブスを用意してカメラマンたちに渡しておき、当日取材許可を与えたカメラマンが集まったところで「きょうは水色を着用せよ」などと指示していた。その情報を仲間のカメラマンから聞き、その日本人カメラマンは指定のビブスを着用して堂々とカメラマン入場口からはいり、取材したというのである。何と大胆な! そして何とおおらかな時代だっただろうか。

「チャレコ」。当時ロンドンで仕事をするスポーツカメラマンたちはビブスをそう呼んでいたらしい。「Chaleco」はスペイン語で「ベスト」を意味する言葉である。それから推察すると、ピッチへの入場を許されたカメラマンであることを誰の目にも明らかにするためにビブスを着用させるという方法は、スペイン、あるいはスペイン語圏の南米あたりで生まれたものではないだろうか。スペイン語では、いまもサッカーのトレーニングで使用するビブスを「チャレコ」と呼んでいる。

(2)へ続く
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