現在、アジア競技大会が行われている。サッカーだけではなく、水泳や柔道など、多くの種目で日本代表の選手たちが奮闘している。蹴球放浪家・後藤健生も、もちろんアジア大会は取材してきた。中でもバンコク開催の大会には、忘れられない思い出が詰まっている。
■特別なバンコク・アジア大会
何年か前に箪笥の中を整理していたら、1998年の第13回アジア競技大会を見に行った時に買ったポロシャツが2枚出てきました。しまったまま忘れていたものです。大会からもう20年も経過していましたが、シャツは新品同様だったので早速それを来て歩くことにしました。
胸には、寺院の屋根をモチーフに「A」の字をかたどったエンブレムが描かれていましたが、それがそんな昔のシャツだなんて気付いた人は2人しかいませんでした。
1人がフィリップ・トルシエ。一目見るなり「お前、ずいぶん古いの着てるなぁ!」という言葉を発しました。もう1人はレフェリーの上川徹さんでした。トルシエはこの大会の日本代表監督。そして、上川さんは国際審判員になったばかりで、初めて国際大会に派遣されたのがこの大会だったそうです。
やはり、大会に直接関わった人はエンブレムもよく覚えているのでしょう。
僕にとっても、この時の大会は記憶に残る大会でした。
まず、1960年代からサッカーに興味を持った人間にとっては「バンコク・アジア大会」というのが特別なものだったからです。
1966年、70年、78年のアジア大会はバンコクで開催されたのです。70年大会は韓国のソウル、78年大会はシンガポールが開催を返上して、バンコク開催になったのです。そして、1968年のメキシコ五輪銅メダルの前後ですから、日本代表はアジア大会で本気で優勝を狙っていいました。
だから、僕にとってアジア大会といえばバンコク大会だったのです。衛星中継などあまりなかった時代です。ラジオの実況中継にかじりついていたことを思い出します。