■捕虜兵に学ぶ

 当時の日本政府は、日本が国際法を順守する近代的法治国家であることを世界に示すため、「ハーグ陸戦条約」に基づいてドイツ人捕虜たちを丁重に扱った。

 ドイツ人捕虜たちにはかなりの自由が与えられ、それぞれの得意分野を生かして活動した。日本で初めてベートーベンの交響曲第9番が演奏されたのもドイツ人捕虜たちによるものだったし、ドイツのパンや菓子、ソーセージ作りの技術も日本に伝えられた。

 収容所にはグラウンドが設けられ、捕虜たちはサッカーなどのスポーツにも勤しんだ。そして、捕虜たちのチームは各地の日本人学生チームとの試合も行った。

 たとえば、広島湾沖の似島にあった収容所のチームは広島高等師範学校などと試合を行った。その後、同校のキャプテンだった田中敬幸は、毎週のように似島に通ってドイツ人捕虜たちからサッカーの技術や戦術を学んだという。

 田中は後に指導者となって広島のサッカー強化を担い、これによって広島のレベルは上がり、田中が指導した広島一中は日本有数の強豪校となり、全日本選手権大会(現在の天皇杯)の第4回、第5回大会では、同校などのOBチームである広島「鯉城蹴球団」が大会初の連覇を達成している。

 サッカーに本格的に取り組むようになってからまだ日が浅かった日本の学生たちは、こうして本場ヨーロッパのサッカー、ロングボールを使ったイングランド・スタイルとは違うパス・サッカーに初めて接したのだ。

(2)へ続く
  1. 1
  2. 2
  3. 3