■つながりの始まり

 1960年代から1970年代にかけて、日本代表は当時の西ドイツに何度も遠征しているが、当時、遠征した日本代表は西ドイツ代表はおろかブンデスリーガのチームともほとんど対戦させてもらえなかった。ほとんどの試合が、アマチュアのクラブか地域選抜チームとの対戦ばかりだった。

 1974年に西ドイツ・ワールドカップの期間中に、僕はケルンで日本代表の試合を見たことがある。だが、対戦相手の「VfLケルン99」はケルン警察のチームで、スタンドなどまったくない広大な練習グラウンドの一角での試合だった(さすがに、日本が8対1で勝利した)。

 当時は毎年6月頃にイングランドや西ドイツでのシーズンを終えた強豪クラブが来日することが多かったが、日本代表はクラブチームとのそうした親善試合の前に合宿を組んで本気で対戦したが、勝利することはかなり難しかった……。

 そんな時代も含めて、今回は、日本とドイツのサッカーの関係を振り返ってみたい。

 日本のサッカー界がドイツと最初に関わりを持ったのは、1910年代後半のこと。日本各地に収容されていたドイツ人捕虜を通じての交流だった。

 1914年に第1次世界大戦が勃発すると、英国と同盟を結んでいた日本は連合国側に立って参戦。中国・山東省の青島(チンタオ)市を中心とするドイツの「膠州湾租借地」を陥落させた。そして、この時、日本軍の捕虜となった4000人以上のドイツ兵が日本全国の収容所で生活することとなったのだ。

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