■明確なチームの意図
さて中山の話に戻ろう。1990年代終盤から21世紀初頭にかけてのジュビロ磐田は非常に強く、Jリーグでは1997年と2002年に優勝。1999年にアジア・チャンピオンにも輝いている。その他の年もJリーグでステージ優勝を果たすなど、常に優勝争いの主役を演じていた。ブラジル代表の闘将ドゥンガが鍛えた藤田俊哉や名波浩が中盤をつくり、圧倒的な攻撃力をもっていたのである。
中山は上記4試合でシュートを合計23本放ち、そのうち16本を決めるという超人的な決定力でその攻撃の締めくくりをしていたわけだが、磐田がチームとして圧倒的な優位に立って試合を進めるという状況がなければ、「4試合連続」どころか、1回のハットトリックも難しかっただろう。そして何よりも、このころの磐田には、「いい形でゴン(中山)に回してゴールを取ろう」という明確な意図があった。
4試合目のハットトリックは、札幌戦の終盤、後半36分に達成された。磐田がそれまでの3試合で計21得点、中山ひとりで13点も取っていれば、相手は当然警戒する。札幌のウルグアイ人監督ウーゴ・フェルナンデスも、3-6-1システムで徹底的に守備を固めた。磐田は前半41分にドゥンガの右CKを田中誠が頭で落とし、ファーポストで中山が叩き込んで先制したが、相手の徹底守備に手を焼いた感のある前半だった。