■「育った選手を出すのは残念でも…」
眞壁が話す。
「自分たちのもとで育った選手を出すのは残念だけど、いなくなるから違うスイッチが入ってまた選手が育つ、というところはあります。それから、ウチを離れていった選手が行った先で活躍する、代表に選ばれる、海外へ移籍するといったことを、クラブを応援してくれる人たちが受け入れてくれている。それを続けているうちに少しずつ前進して、いつの日かJリーグの優勝シャーレを取れたらもっとハッピーだね、という思いを共有しているのは、私が言うことではないですがすごいなと。
筆頭株主のライザップさんもユニフォーム胸スポンサーの三栄建築設計さんも、現場のことには一切口出しをしないし、今回の町野の代表入りもすごく喜んでくれています」
2000年に市民クラブとして再生し、10年目の09年にJ2からJ1へ昇格をした。その後は3度のJ2降格とJ1昇格を経て、18年からJ1に定着している。
予算規模を見ると、J1ではまだ控え目な数字だ。18年にルヴァンカップを獲得したが、リーグ戦でタイトルを争うには経営基盤をさらに強化したいだろう。眞壁が言う。
「我々経営サイドがもっと数字をあげて、98年のようにW杯へ4人ぐらい送り出せるようなクラブにしていかないと。W杯の代表に選ばれて嬉しそうにしている町野を見ていて、そういう責任を強く感じました」
中田英寿氏、小島伸幸氏、呂比須ワグナー氏が日本代表として、洪明甫氏が韓国代表として1998年のフランスW杯に参加した当時は、「ベルマーレ平塚」だった。「湘南ベルマーレ」としてW杯代表を輩出するのは、今回が初めてである。
21世紀の日本社会で、サッカークラブはどうあるべきなのか。地域社会とどのように向き合っていくのか。クラブとしての存在意義を問い続けた先に、今回の町野の代表入りがあった。ホームタウンやスポンサー、アカデミーなどへの波及効果も見込まれ、ベルマーレのこれからが注目される。