サッカージャーナリスト・後藤健生は1989年、香港にいた。イタリア・ワールドカップ予選取材のためだが、試合は「吹き飛ばされた」。台風と、それにも勝るとも劣らない嵐が吹き荒れていたのだ。
■台風警報が発達していた香港
イタリア・ワールドカップのアジア1次予選グループ6に入った日本代表の初戦は香港とのアウェー戦でした。試合は1989年5月21日に香港「政府大球場」で行われることになっていました。
僕は試合前々日の5月19日の金曜日に香港に到着。ホテルでテレビをつけると、画面には「凸3」という記号が映し出されていました(「凸」は漢字ではなく、記号)。
これは香港独特の台風警報で「シグナル3」と呼ばれます。香港の南海上に台風「ブレンダ」が接近していたのです。香港では台風は1号からABC順に女性の名前で呼ばれていました(現在は男性名も使われる)。つまり、「ブレンダ」は台風2号というわけです。
当時の香港は、英国が清朝から割譲させた香港島と九龍半島、そして1898年に99年間の期限で租借した新界から構成される英国直轄植民地でした(新界の租借期限が切れる1997年に全体が中華人民共和国に変換され、その後50年間は「一国二制度」の下で民主体制が維持されることになっていましたが、その約束は中国によって反故にされてしまいました)。
政府機関や金融機関などがある香港島と九龍半島や新界は、1972年に海底トンネルが開通するまではすべてフェリーで結ばれていました。従って、台風が来ると香港の交通はマヒしてしまいます。それで、台風警報のシステムも発達していたのです。