■屋台もアフリカまみれ

 2006年のワールドカップ前に各地で行われる準備試合を観戦して歩いた時のことです。5月27日に東京からパリに到着した当日にはスタッド・ド・フランスでフランス対メキシコという好カードがありました(1対0でフランス勝利)。そして、その翌日コロンブでモロッコ対マリ戦があったのです(どちらも、ワールドカップ出場国ではありません)。

 フランスは19世紀にはアフリカ各地に植民地を持っていましたから、フランスには今でも数多くのアフリカ系黒人が住んでいます。たとえば、この試合の70分にマリの決勝点を決めたフレデリック・ウマール・カヌーテはリヨンの生まれです。スペインのセビージャや中国の北京国安などでもプレーした192センチの長身FWです。

「スタッド」駅から試合会場に向かう道路はアフリカ系の人々に占拠されていました。ゲートではチケットを持っていない人たちと警備陣が「入れろ」、「入れない」と大騒ぎをしていましたし、周囲ではアフリカ的な食べ物を売る屋台もたくさん出ていて、まるでアフリカのどこかの都市に紛れ込んでしまったような雰囲気でした。

 今でも観戦メモを見るとマリ選手全員の名前は分からないまま空白になっています。メンバー表も公式記録も手に入れることができませんでした。翌々日の5月30日にはドイツ対日本の準備試合(2対2の引き分け)がレバークーゼンであったので、そのための移動に忙しくて、僕にも公式記録やマリの選手の名前を調べている時間的余裕もなかったんでしょう。

(注)第2回ワールドカップは1934年のイタリア大会で、この大会の決勝戦はローマのスタディオ・ナツィオナーレPNFで行われました(「PNF」は国家ファシスト党の略。ベニト・ムッソリーニ時代の独裁政党)。このスタジアムは1953年に取り壊されてしまったので、僕は見に行くことができませんでした。

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