■当時のサッカーはマイナー競技だった
自国開催のオリンピックということで、日本体育協会からの資金も使えたので、日本代表は毎年のようにソ連やヨーロッパに2か月ほどの長期遠征を行って強化を進めました。そして、オリンピックでアルゼンチンに3対2と逆転勝ちしたのです(日本のグループではイタリアがプロ問題で棄権していたため、ガーナに敗れて1勝1敗だった日本は2位で準々決勝に進出)。
そのアルゼンチン戦の写真は、若い方でもたぶん一度はご覧になったことがあるでしょう。バックスタンドが映っている写真を見ると、スタンドは白や黒の制服を着た人たちでいっぱいです。つまり、中学生や高校生の団体がスタンドを埋めているのです。
会場は駒沢陸上競技場。収容人員は2万人強です。アルゼンチン戦の観客数は1万9000人台でしたが、バックスタンドに一般客の姿はあまり見えないのです。サッカーはマイナー競技だったので入場券が売れなかったのです。
オリンピック入場券購入のための整理券は1963年10月に配布が始まりました。配布は不人気競技から開始され、その“栄えある第1回”に輝いたのがサッカーとヨット、ボートでした。ちなみに第2回がホッケー、射撃、近代五種、馬術、カヌーというのですから、サッカーがいかに不人気だったかが分かります。
2万人収容の駒沢での日本戦ですらそんな状態だったのですから、大きな国立競技場のスタンドが埋まるわけはありません。というわけで、僕たちは開会式の翌10月11日に国立競技場で行われたハンガリー対モロッコ戦に連れて行かれたのでした。