■さらけ出された「オリンピックの正体」

「スポーツ難民が増えた」というのは、こういう話だ。東京都サッカー協会が利用できる数少ないグラウンドのひとつだったある5000人収容のスタジアムが、東京オリンピックのサッカーではない競技の会場として使われることになり、数年前から使えなくなってしまった。東京都サッカー協会は頭をかかえているが、オリンピック後に再びサッカーで使えるようになるのか、まだまったくわからないという。

 わずか2週間ずつのオリンピックとパラリンピックだけで使われる施設がいくつあるのだろうか。あるいはまた、オリンピックが終わったら恒常的に使われる施設にするために大改修が必要なものは? そうしたものに何千億円が投入されるのだろうか。私たちの女子チームのように日本のスポーツの「底辺」でなんとか活動を続けたいと願っているサッカーチームとしては、そうして「浪費」される資金の一部でも回して、雨が降ったら使えず、晴天が続いたら砂ぼこりだらけになっている東京都所有の公園内のグラウンドを、せめて人工芝にしてくれないか(敷設工事は1面で1億円もかからない)と思うばかりなのだ。

 オリンピックがすばらしい理想の下に始められ、125年も世界に愛されてきた「人類の祭典」であることは間違いない。サッカーをはじめとした日常的に関心を呼ぶ競技だけでなく、競技人口も少なく、日本選手権や世界選手権の結果さえメディアにも載らない競技にもスポットライトが当たる機会はとても貴重だ。

 しかし現代のオリンピックの「正体」が何であるか、今回のコロナ禍で日本の人びともよく理解できたのではないか。現代のオリンピックを動かしているのは巨大な「カネ」である。そしてそれだけが、オリンピックを主催する国際オリンピック委員会(IOC)の「正義」なのである。

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