日本の東西南北で3つの日本代表が連日、白熱のゲームを繰り広げ、サッカーファンは大忙しの毎日ですが、読者の皆さまはいかがお過ごしですか? めでたく69歳の誕生日を迎えたベテランのジャーナリストは、飛行機の国内便や夜行バスであちこちのスタジアムを駆け巡り、代表戦やJリーグの合間には関西リーグの観戦と、ますますお元気そうでなによりです――。
■世界の中心をひと跨ぎ
もし、0度の子午線がグリニッジではなく、他の場所、たとえばロンドン西部のウェンブリーを通っていたとしたら、135度の子午線は同じ兵庫県でも20キロくらい西にある高砂市あたりを通過することになっていたことでしょう。
あるいは、当時、世界最強の国家が英国ではなく、アメリカだったとしたら、0度の子午線はアメリカのどこかに決まっていたのかもしれません。また、将来中国が世界最大の大国になったとしたら、子午線についても「現状の変更」を求めてくるかもしれません……(グリニッジを基準にすると、日付変更線=180度の子午線が太平洋上を通過するので都合がいいので、たぶん変更は認められないと思いますが)。
明石の運命は、世界情勢に懸かっているというわけです。
僕が、そのグリニッジの子午線を見に行ったのは1996年にヨーロッパ選手権(EURO)がイングランドで開催され、約1か月にわたってイングランドに滞在していた時のことです。
地下鉄でグリニッジに到着。旧海軍大学を見学してから天文台に向かいました。こじんまりとした天文台。そして、その壁に「経度0」の子午線を示す赤いラインが描かれていました。
その翌年には、赤道にも行ってみました。
1997年にエクアドルでU-17世界選手権(現・U17ワールドカップ)が開かれた時のことです。小野伸二や稲本潤一、高原直泰などがいるチームでしたが、グループリーグ敗退に終わりました。