「FWの魂を持ったサイドバック」アクラフ・ハキミ インテルでの挑戦の画像
アクラフ・ハキミ(インテル) 写真:Winner Media/アフロ

 カンテラ(育成組織)出身選手が、ビッグクラブでトップチームに定着するのは簡単ではない。

 レアル・マドリーは今夏、アクラフ・ハキミをインテルに放出した。ボルシア・ドルトムントに2年間レンタルした後、移籍金4000万ユーロ(約48億円)で「生粋のカンテラーノ」を売却する決断を下している。

■幼い頃からの夢

 アクラフはマドリードの近郊の街ヘタフェで生まれ、育った。15歳の頃、兄ナビルがいるチームが、地元のトーナメントに参加。その試合当日に人数不足であることが発覚すると、アクラフは出場を直訴した。「僕がスパイクを履いてプレーする」というアクラフを、「説得するのが大変だった」とクラブ関係者が回想する。アクラフと地元との繋がりを端的に示すエピソードである。 

 アクラフは、2006年に7歳でマドリーのカンテラに入団する。「我々はマドリーの提携クラブの一つだった。アクラフの家族は謙虚な人たちで、どうすればいいのか迷っていた。なので、私がバルデべバス(マドリーの練習場)まで送迎した。週に3~4回だったけれど、まったく苦ではなかった。マドリーに入団するのは、すべての子どもの夢だからね」と当時ゼネラルディレクターとしてアクラフの面倒を見ていたダビド・ブリトは語る。

 マドリーがアクラフの獲得を決めた時、彼のポジションはFWだった。インファンティル(ジュニア世代)でウィングに、カデテ(ジュニアユース世代)でサイドバックにコンバートされた。「僕はFWの魂を持ったサイドバックだ」とアクラフ自身が述べるように、攻撃参加が持ち味のディフェンダーとして成長していった。

 アントニオ・コンテ監督率いるインテルが、そのアクラフの獲得に動いたのは必然だった。コンテ監督は3バックの使い手だ。【3-5-2】を基本システムとしている。ウィングバックの選手として、アクラフを確保しようとした。マドリーのカンテラでサイドバックにポジションを移したアクラフだが、進化は止まらなかった。ドルトムントでは、右サイドバック、左サイドバック、右ウィング、左ウィングと4つのポジションでプレー。45試合出場9得点10アシストを記録した。

  マドリーでカデテ時代にアクラフを指導したルイス・ミゲル・ラミスは証言する。

「ハキミには、10メートル走より、40メートル走が向いている。より多くのスペースが前方に合って、守備者を驚かせるようなシチュエーションが必要だ。コンテの3バックはハキミのプラスになるだろう。後ろを保護され、前方には攻めるためのスペースがある」

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