■ボールは生命を吹き込まれ――

 その2カ月前、2月23日のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の城南一和(韓国)とのアウェー戦で、憲剛は大けがを負った。前半15分、相手との衝突で下あごを骨折してしまったのだ。顔つきまで変わるほどの重傷だったが、彼は交代をせずに90分間ピッチに立ち続けた。しかし帰国後、4時間にわたる手術を受け、2週間もの入院を余儀なくされる。その復帰戦が、4月14日、因縁の城南一和とのACLホームゲームだったのだ。

 2-0のリードで迎えた後半21分、憲剛は田坂祐介に代わってピッチに立った。そしてわずか1分後、ワンタッチの浮き球で黒津勝を相手DFラインの背後に抜け出させ、3点目につながるPKを生む。その後も、憲剛がボールに触れるたびに、ボールは生命を吹き込まれたかのように味方に渡り、攻撃の形が整い、チャンスが生まれていった。憲剛がはいる前とはいった後の川崎は、まるで別のチームのようだった。驚くべき25分間だった。

 4日後、4月18日のJリーグ浦和戦は、0-2とリードされた後半からの出場。この試合は結局0-3で敗れるのだが、憲剛はこのときにもはいってすぐにPKにつながるパスを出し、その後も川崎を奮い立たせて45分間を戦い抜く。憲剛の右足には再び「神」が降臨し、川崎の攻撃には驚くべき秩序が生まれた。

 このとき29歳。岡田武史監督が率いてワールドカップ南アフリカ大会を目前にした日本代表でも中心的なメンバーであり、Jリーグ屈指のプレーメーカーである憲剛を知らない者はいなかった。しかしどんな名手にも「ミス」があって当たり前のサッカーにおいて、この2試合、70分あまりの時間で憲剛が見せたプレーの冴えに、私はどこか不自然なものさえ感じた。

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