後藤健生の「蹴球放浪記」連載第31回「聖書の世界を歩く」の巻の画像
予選大会のADカード 提供:後藤健生
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2000年アジアカップでレバノンを訪ねる3年前には、後藤さんは、内戦によって“21世紀最大の人道危機”が生じているとされるシリアを訪れている。まだアラブの春が勃発する前で、情報省でおだやかにサッカー談義を楽しんだり、アジア・サッカー界の顔役と面会したりしながら、旧約聖書と新約聖書の舞台を思うままに彷徨ったのだった。

■大使館でお茶をしながらサッカー談義

 レバノンと同様、いやそれ以上に内戦のために破壊し尽くされてしまったのが隣国シリアです。

 僕がシリアの首都ダマスカスを訪れたのは1997年の6月、フランス・ワールドカップのアジア1次予選シリア対イランの大一番を観戦するためでした。現在の大統領バッシャール・アル・アサドの父親ハーフィズ・アル・アサドが国を治めていた時代で、独裁政権がそれなりに機能していた頃のことです。

 そんな国ですから報道ビザをもらうのも大変でした。様々な書類を揃えて申請すると大使館で「面接」があって、実際にビザが発給されるまで1か月近くもかかりました。「面接」といってもお茶やお菓子を出してくれて、そこでただ雑談をしただけなんですけどね。

 現地に到着してからも情報省に行って“登録”をしなければなりません。ホテルで場所を聞いたら、「タクシーに乗らはって『バス』と言えば連れてってもらえまっせ」と言われました(旧フランス植民地なので彼らの英語はフランス語訛りです)。

 えっ、「バス」って何のことだ?

 それは、シリアを支配していた独裁政党「バアス党」本部のことでした。社会主義的(世俗的=非宗教的)な政党で、アメリカに殺されたイラクのフセイン大統領も「バアス党」でしたが、シリアとイラクの「バアス党」は激しく対立し合っていました。

「バアス党」本部は巨大な建物でしたが、内部は照明も薄暗く、空室もたくさんあってガランとした印象でした。

 旧式のエレベーターで10階の担当者の部屋に行ってみると、誰もいません。ぼんやりと待っていると、担当のムニアール・アリ氏がニコニコしながら子供連れで出勤してきました。ここでも、また雑談というかサッカー談義をしただけでした。

 ビザ申請のサポートをシリアのサッカー協会にお願いしたら、協会から「ティシュリーン・ホテルに泊まれ」と言ってきました。シリア代表がトレーニングに使っているティシュリーン・スタジアムの敷地内にあるホテルで、シリア代表もここに泊まっていました。

 ホテルにチェックインしてしばらくすると、シリア協会会長のファルーク・ブーゾがやって来ました。AFC(アジア・サッカー連盟)の審判委員長で、アジア・サッカー界のいわば“顔役”の一人です。そのジェネラル・ブーゾ(軍人だったブーゾは「ジェネラル(将軍)」と呼ばれていました)が、僕がちゃんとチェックインしたかどうかわざわざ確かめに来てくれたというわけです。

「滞在中、困ったことがあったら、何でも言ってくれ」

 実際、スタジアムとの往復にはシリア代表や審判団のバスに同乗させてもらいましたし、またレセプションにも招待されました。

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