06年W杯ですべてを背負ったロナウジーニョ 写真/渡辺航滋
06年W杯ですべてを背負ったロナウジーニョ 写真/渡辺航滋

(この記事は2017年6月13日に発行された『サッカー批評86』(双葉社)に掲載されたものです)

文◎マルタ・エステーヴェス Martha Esteves

翻訳◎大野美夏 Mika Ono

撮影◎ガブリエル・エステーヴェス Gabriel Esteves

写真◎渡辺航滋 Koji Watanabe

ブラジルのレジェンド。その説明はもはや不要だろう。Jリーグの鹿島アントラーズに伝統となる「イズム」を注入し、日本代表監督として2006年ドイツW杯にも出場した。そんな日本サッカーの功労者でもあるジーコに、セレソンの「これまで」と「これから」=35年の所感をW杯を軸に語ってもらった。

批判と栄光を味わった1990年&1994年W杯

――あなたが引退した後の1990年イタリアW杯は、ラザローニとドゥンガに代表される守備的チームで、多くの批判を浴びました。セレソンの歴史上、「汚点」とまでいわれたこのチームはどう見えましたか?

「私はこのチームでプレーした経験がなく、チーム内からの分析はできない。だが、観客の一人としてイタリアのスタジアムで試合を見ている。ベスト16でブラジルがアルゼンチンに負けたのは、ディエゴ・マラドーナがいたからだ。あの試合、多くの批判を受けるほどブラジルは悪いプレーをしたわけではなかった。マラドーナという超人的な選手がいるだけで、チームプレーも変わってくる。マラドーナからカニーヒアに渡ったパスは完璧だった。あれでは、ブラジルに勝ち目はなかった。様々なことを言われたチームだが、私は引退をしており、国家スポーツ省の大臣の役目を担う準備をしていた頃だったので、チーム内状を全部知っているわけではない。だから、残念ながら細かい指摘はできないね」

――1994年アメリカW杯は、決勝でイタリアとの炎天下での死闘の末、PK戦で6大会ぶりの優勝を勝ち取りました。24年ぶりの優勝を賞賛する声がある一方で、ブラジル内では「芸術サッカーの喪失」を危惧する声もありましたね。

「私にとってこのチームは、ベベット、アウダイール、ジョルジーニョ、レオナルド、ジーニョとフラメンゴのチームメートが多くいるため非常に縁が深く、親愛の念を持っている。彼らの若い時から知っており、成長を見守ってきた。非常にインテリジェントで、レベルの高い選手達だった。そのような選手達を揃えたからこそできたサッカーであり、ご褒美に優勝がついてきた。トップにベベットとロマーリオという個の力に優れたハイレベルな選手を揃え、ライーの不調により、本戦ぎりぎりにパレイラ監督はマジーニョを入れて、中盤をジーニョとマウロ・シルバで守備も固めた。決勝戦はPK戦にもつれ込んだが、イタリアチームのプレイヤーたちのコンディションは明らかにブラジルよりも劣っていた。私から見たら、監督は優秀な選手を揃え、クレバーな戦術でチームを組み立てたからこそ、優勝できたと思う。W杯で4回目の優勝を果たした、ブラジルサッカー史に残る素晴らしいチームだった」

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