■兼用スタジアムが“世界標準”だった理由

 20世紀の末以降は世界的に専用スタジアムが多くなる傾向が強まっている。

 まず、スタジアム建設の歴史を振り返ってみよう。

 世界で本格的なスタジアムが建設されはじめたのは今から100年余り前のことだ。1908年にはロンドン・オリンピックのために6万8000人収容のホワイトシティー・スタジアムが完成(現在はすでに解体)。その後、世界各地に巨大スタジアムが建設されていった。

 日本でも1924年に東京の明治神宮外苑競技場が完成。現在の国立競技場がある場所である。また、同年には兵庫県西宮市に甲子園野球場も完成している。ちなみに、その前年の1923年にはロンドン郊外にウェンブリー・スタジアム、ニューヨークにヤンキースタジアムが相次いで完成している。第1次世界大戦後、各国でスポーツ熱が高まり、多くの巨大スタジアムが建設されたのだ。

 当時の巨大スタジアムは多くの競技に使用されていた。ホワイトシティーのピッチ内には水泳プールが設けられていたし、完成した明治神宮外苑競技場では陸上競技やサッカー、ラグビーのほかにバスケットボールやバレーボールの試合も行われた。さらに、野球場として建設された甲子園やヤンキースタジアムにも当初は陸上競技のトラックが併設されていた。

 さすがに野球場で陸上競技を行うのは難しかったが、その後、1周400メートルの陸上トラックの内側の芝生で各種のフットボールを行うという形式が定着。20世紀後半まではそれが“世界標準”だった。

 イングランドやスペイン、ポルトガルではフットボール・クラブ自身がスタジアムを所有している場合が多かったのでサッカー専用が主流だったが、フランスやドイツ、イタリアなどヨーロッパ大陸の多くの国では陸上とサッカーの兼用スタジアムが一般的で、そのほとんどが市など自治体の所有だった。

 つまり、各都市には大きなスタジアムが一つ存在し、そのたった一つのスタジアムがいくつもの競技に使用されるという形式だ。1958年の東京アジア大会のために建設され、1964年の東京オリンピックの時に拡張された旧・国立競技場もそうだった。旧・国立競技場では1991年の世界陸上などの陸上競技大会やサッカー、ラグビーのビッグマッチに使用され、多くの観客を集めてきた(当時の日本には野球場以外に5万人を収容できるスタジアムは「国立」以外に存在しなかった)。

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