ミシェル・プラティニ
ミシェル・プラティニ 写真:アフロ
オリンピックの延期が決まると、メディアは予想通りの切り口に走った。選手たちがかわいそう。そして、その期待通りに泣き言をいうアスリートも少なくなかった。もっと大きなものを失った人たちが世界にはあふれているのに――。

■プラティニは「それも人生さ」と言った

 サッカーでは、「23歳か、24歳か」が話題になっている。オリンピックは「23歳以下」ということになっているので、来年になったらことし候補にはいっていた多くの選手が出場資格を失うのではないかということだ。現在「1997年1月1日以降の生まれの選手」とされている2020年のオリンピック男子サッカーの出場条件が変わるとは思わないが、「23歳以下」という前提を守るために「1998年1月1日生まれ以降」と規約が変わっても、嘆く必要など何もない。世界が平常に戻れば、彼らにはプロサッカー選手として活躍し、輝くチャンスはいくらでもある。何より、ワールドカップという目標もある。

 ミシェル・プラティニ(フランス)という元選手、元UEFA会長がいる。いまはずいぶんブラックなイメージになってしまったが、現役時代の彼は、サッカーの世界的なスターには珍しくノーマルな感覚をもった人物だった。それはおそらく、彼が成人するころまでのフランス・サッカーがひどい低迷期にあり、彼が自他ともに過大な注目や期待を受けずに育ったおかげだっただろう。そのプラティニが、「僕はワールドカップにはどうも見放されていたんだ」ともらしたことがある。

 彼は1978年、1982年、1986年と3回のワールドカップに出場し、そのたびにベスト11に選ばれるような活躍を見せたのだが、実際にはどの大会も体調が万全ではなく、「病気」に近い状態だったというのだ。唯一、体調万全で臨むことができたのが地元フランスで開催された1984年の欧州選手権だった。この大会で、彼は6試合で9得点という破天荒な活躍を見せ、フランスを初優勝に導いた。

 

 プラティニがもし完調だったら、フランスが1982年か1986年のワールドカップで優勝するチャンスは十分にあっただろう。しかし「さぞ残念だったでしょう?」と問うと、彼は肩をすくめて「C’est la vie! (それも人生さ)」と言った。

 またまた余談ながら、プラティニとの会話は英語だった。だが彼はこの言葉だけはフランス語で言った。そして、この言葉だけは、私にもわかった。

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