■かつてのアジアサッカーの中心地
東南アジアは1960年代までアジアのサッカーの中心地と言ってよかった。しかし、どの国も体が小さく、韓国やイスラエル、イランといったフィジカルの強い国々が伸びてくると、次第に競争力を弱め、出遅れていたサウジアラビアや日本にも1980年代には勝てなくなって弱体化した。
アジアカップでは、インドネシア、タイ、マレーシア、ベトナムの「4か国共同開催」で行われた2007年大会にホストの4か国が予選抜きで出場したが、4チームの合計成績は3勝2分け7敗、総得点11、総失点26。ノックアウトステージに進出できたのは日本が入ったB組で2位になったベトナムただひとつで、このベトナムも、準々決勝でイラクに0-2で敗れて姿を消した。
続く2011年大会、2015年大会では、東南アジアのチームはすべて予選で敗退して出場はゼロという寂しい状態が続く。アジアカップの決勝大会に出場できないようでは、ワールドカップ出場など遠い夢であるのは当然だ。過去22回のワールドカップに東南アジアから出場を果たしたのは1938年(フランス大会)の「オランダ領東インド(現在のインドネシア)」1つだけ。それも、日中戦争の長期化で日本が予選を棄権したため、予選なしの出場だった。決勝大会では1回戦でハンガリーに0-6で大敗を喫している。